今回は4曲の楽曲を調べていて、'出発の歌' 発表までの
ドタバタぶりが分かって面白かったです。
このシングル盤は買った憶えがあり、上條恒彦という歌手(それまで知らなかった)と
六文銭がどういう経緯で組むことになったのか分からなかったのですが、
なるほど、そうするしかない状況に追い込まれたんですね。 (笑)
しかもそういった応急的な対処が功を奏して
「世界歌謡祭」のグランプリ受賞にまでつながるんだから、面白いです。
名曲 'Don't Worry Baby' は、ロネッツのロニー・スペクターも
録音を残していたことは知りませんでした。
調べて初めて分かることはいろいろとあるものですね。
1971年に「第二回世界歌謡祭」出場者を選考するために開かれた
「第三回合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバルで初めて歌った。
曲はそのフェスの前日になって書き終え、作詞と編曲は
会場へ向かう新幹線の中でようやく完成させた。
しかも当初は上條と六文銭は同フェスに別々のエントリーで歌う予定で、
小室等が上條の分を含め、それぞれ1曲ずつ曲を書いておく約束だったのが、
この1曲しかできなかったために、やむなく上條+六文銭という
即席の1ユニットとしてエントリー。結果、思いがけずも受賞。
受賞後、中村八大が現れ、編曲にアドバイスをしたので木田が
中村に補編曲を依頼し、中村が承諾。これを武道館で行われた
ビルボード誌のR&Bシングル・チャートで4位のヒットとなり、
Billboard Hot 100でも16位に到達した。
やはりスモーキーの悩殺的なファルセットが魅力。
コーラス、ストリングスを活かしたアレンジも素晴らしいと
思います。リンダ・ロンシュタットも1978年にカヴァー → ★
(同上 1965年11月1日 アルバム発売) ★
ビリーバンバン ★ の10枚めのシングル。
TVドラマ『3丁目4番地』★ の主題歌として発売された曲。
作詞は同ドラマの主人公で、ラジオの人気DJ役だった浅丘ルリ子の
同僚アナウンサー、という役を担当した石坂浩二。
ちなみに浅丘と石坂はすでに実生活上の夫婦でもありました。
ところで当時はフォークシンガーの風潮として、レコードは
自作の曲を歌うべきであり、他人の書いた曲を歌うのは恥とする
傾向もあり、このコンビのひとり、菅原進が録音を拒否したという逸話も。
曲は累計80万枚のヒットとなり、'白いブランコ' (69年) 以来のヒット。
72年の紅白歌合戦に、この曲で初出場を果たし、1986年以降、
高等学校の音楽教科書にも何度か掲載された。以上 Wiki より。★
ビーチボーイズ ★ のアルバム "Shut Down Volume 2" に
収録されていた曲。2ヶ月後にシングル盤 'I Get Around' の
B面としてリリースされ、単独で24位にチャートインした。
ブライアン・ウィルソン ★ がロネッツの1963年のヒット曲
'Be My Baby' に夢中になっていたことから生まれた曲。
1964年3月2日 アルバム発売) ★
(同上 1964年5月11日 シングル発売) ★