天外伺朗著「運命の法則」を読みました。人間の世界には理屈ではなかなか分からないことが起きますが、それも運命の法則であり「幸運は意図的に招き寄せることが出来る」という主張には一理あると強く感じました。天外氏が自身の人生を赤裸々に引用しながらの説明は大変強い思いが伝わった内容でした。

 

印象に残った点を以下引用します。

 

1.フローの法則

人が喜びを感じるということをちゃんと内観的に調べていくと仕事、遊びにかかわらず何かに没頭している状態であることをチクセントミハイは見出した。そしてその状態を「フロー」と名付けた。いかなる報酬も生まない、数多くの活動に没頭する人々を調べた結果、その動機付けは内部にこみあげてくる喜びや楽しさであり、それを「内発的報酬」と名付けた。従って「仕事」と「遊び」という二分法よりも人間にとっては「外発的報酬」か「内発的報酬」かの区分が重要になる。

 

2.カルマの法則

「カルマ」というのはサンスクリット語で「行い」のことだ。善い行いも悪い行いもカルマであり善悪の区別はない。「カルマの法則」というときには「行い」だけでなく「想念」も含まれる。私たちは日常生活の中でたえずさまざまな「行い」をし、さまざまな「想念」を抱く。あらゆる「行い」あらゆる「想念」がたとえどんなに些細なことであっても宇宙に放射されあちこちで反射してやがて自分に戻ってくる、というのが「カルマの法則」だ。

 

3.人が危険に陥るとき

人はどういうときに重大な危険に陥るのか。それは、何かがうまくいったとき、大成功したとき、すごい能力が身についたとき、多くの人から賞賛されたとき、ファンが大勢できたとき、などだ。なぜかというと、そういうとき人にはどうしても「うぬぼれ」や「思い上がり」といった感情が出てくるからだ。

 

4.幸運と不運は表裏一体の関係にある

「人間万事塞翁が馬」という故事がある、この故事はいろいろに解釈できる。ひとつは「トータルつき量一定の法則」、幸運があると思うと不運があり両方が平等に訪れてくるというものだ。もう一つは「一見不運に見えることの中にも幸運が隠されており、幸運に見えることの中にも不運が隠されている」という解釈だ。(中略)但しその背後に「もしすべてを淡々と受け入れることができたら・・・」という条件が隠されている。これらの解釈の違いは物事をどの深さでとらえているかによる。簡単にいえばいずれも正しいのだ。運命とか人生とかを考えているとき「唯一無二の真理」はありえない。深層心理との付き合い方いかんで、真理はいかようにも変わってくる。

 

5.大河の流れ

私たちの身の回りの物質的な世界。発生する出来事に一喜一憂する人生。あるいは怒り狂ったり嘆き悲しんだりする私たちの精神状態。「こうしたい」「ああなりたい」という思いや目的意識。そういったものを一切超越して、宇宙の底の方に音と立てて滔滔と流れる「運命の流れ」がたしかに存在するのだ。私(天外)はそれを「大河の流れ」と呼ぶことにした。(中略)過去の出来事の中に「大河の流れ」が見えてきたら現在の状況を眺めて欲しい。いろいろと大変なことが起きておりいろいろな想いが交差しているだろう。でもその現実に密着しないで突き放して客観的に眺めるようにする。すぐにはできないかもしれない。でも時間をかけてそういう気持ちで眺めていると、自分の人生がひとごとのように見えてくるようになる。そうなったら「大河の流れ」が見えるところまで、あとほんの一歩だ。

 

引用を終わります。

 

中々難しい内容のため何度か読み返し、上記の引用も繰り返し確認しながら選択しました。しかし、本書の最後に次の文章があり要約の方向性は間違っていなかったと感じました。

 

「内発的報酬はやがて大河の流れにつながっていく」

 

最後に本書で非常に強く印象に残ったことがあります、それはスティーブ・ジョブズ氏も本書を読み大いに影響を受けたのではないか、です。

 

本書は2004年出版、英語に訳されたかどうかはわかりません。ジョブズ氏の有名なスピーチは2005年6月です。

上記紹介した点はスピーチの中で触れられていることがそう考えた理由です。もちろん、ジョブズ氏も同じように考えていたからスピーチを作ったと考えるのが普通でしょう。しかし余りにも共通点が多かったためあえて最後に触れました。

 

天外さんのことはこれからも追いかけていきたいと思います、ありがとうございました。