ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」下巻をようやく読み終えることが出来ました。豊富な内容を読みこなすのは少々難儀でしたが、人類史の謎、ジャレドがフィールド調査をしているニューギニアで受けた質問「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人は自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」という極めてシンプルな問いかけからこの本が生まれました。私たちが歴史で学び常識を思っていたことに対し質問を投げかけ、それに取り組んだ本書はリベラルアーツの教科書に正にふさわしいと再認識することが出来ました。

 

下巻で印象に残ったのは以下三点でした。

 

1.ヨーロッパとアフリカ

ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるようにヨーロッパ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然と生態的偶然のたまものにすぎない、しいて言えば、それは、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の広さの違い、東西に長いか南北に長いかのちがい、そして栽培化や家畜化可能な野生祖先種の分布状況のちがいによるものである。つまり、究極的にはヨーロッパ人とアフリカ人は異なる大陸で暮らしていたので異なる歴史をたどったということなのである。

 

2.中国とヨーロッパ

中国は初めの一歩を早く踏み出していた。そして、さまざまな有利な点をそなえていた。それゆえ、中世の中国は技術の分野で世界をリードしていた。中国で誕生した技術は数多くある。そのなかには、鋳鉄、磁針、火薬、製紙技術、印刷術といったものや本書でもふれたさまざまな発明が含まれている。中国はまた政治制度の発達においても世界をリードしていた。航海技術や海洋技術にも優れていた。十五世紀初頭には大船団をインド洋の先のアフリカ大陸東岸にまで送り出していた。(中略)なぜ中国人はアフリカ大陸の最南端を西にまわってヨーロッパまで行かなかったのだろうか。なぜ、中国人はバスコ・ダ・ガマの山積の船が喜望岬を東に回って東南アジアを植民地化しはじめる前にヨーロッパを植民地化しなかったのだろうか。なぜ中国人は太平洋を渡ってアメリカ西海岸を植民地化しなかったのだろうか。言い換えればなぜ中国は自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまったのだろうか。これらの謎を解く鍵は船団の派遣の中止にある。(中略)中国は国全体が政治的に統一さえていたという点でそれらの国々とは異なっていた。政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって中国全土で船団の派遣が中止されたのである。ただ一度の一時的な決定のために中国全土から造船所が姿を消し、その決定の愚かさも検証できなくなってしまった。(中略)これに対しヨーロッパは政治的統一に近づいたことは一度としてなかった。(中略)統一を嫌う伝統がヨーロッパに深く根付いているからである。つまり、政治や技術の分野において中国が自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまった理由を理解することは、すなわち、中国の長期にわたる統一とヨーロッパの長期にわたる不統一の理由を理解することになる。

 

3.パラメーター

物理学ではおもに研究室で行う実験を通じて理解を深める。パラメーター(媒介変数)の影響を知りたいと思ったらそのパラメーターを操作した実験と操作しない実験を並行して行い結果の再現性を実験で確認しながらデータを定量的に収集する。化学や分子生物学の研究でもこの方法が用いられる。したがって、多くの人々は自然科学と実験を結び付けて考え、自然科学には研究室での実験がつきものと思っている。しかし、研究室での実験が歴史科学で役にたつことはほとんどない。

 

引用を終わります。

 

人類の歴史を理解することは簡単ではありませんし、本当に様々な要素がパラメーターとして介在して成り立っているのです。そして、それは今を生きる私たちの人生そのものでもあり、それが人類の歴史となっていくのです。

 

激動の時代、前例のない時代、歴史から学び、そして行動を続けていきたいと思います。