昨日の夕刻からこれまでで最も厳しい声の連絡がある。匿名でのものもあるが、実名で初めて連絡してくる方が多い(匿名の場合、内容にもよるが通常は返信等は出来かねるのでご了承ください)。今回は数も多く、きつい内容ばかりである。
3月からの今回の事案での対応が5月の連休明けの現在にわたって続いているが、職員の反発の声がいま最高潮に達していることをよく理解できる。
私に伝えたいことの最後に
「僕は、井戸さんのやり方が全面的に良かったとは決して思いませんが、少なくともこれまでは一人ひとりの職員が誠実に働けていたと思います。先生、よろしくお願いします」と記されていたものがあった。
長らく県に奉職してきて、いまだかつてない状況に追い込まれている。管理職だが自分の力ではどうにもならないことが記されていた。先日の処分をみれば職場でそうした意見をいうことすら躊躇して当然だと思う。いま得も言われぬ職場環境、恐怖政治になっている。県庁外へ出たいという声もよく聞く。これは誰の責任だろうか。当然だがトップの責任。3年弱でとんでもない状況になっている。なにが「風通しの良い職場」だ。こんなコメントを作っているのは誰か。恥ずかしくないのか。
その後、自宅のパソコンで様々なやりとりなど。その後、所用で外出。
私にときに知恵をつけてくれる人が、先日、下記のリンクを送ってきた。最初は懐疑的であっても、狭い空間、組織の中で、流れに同化していき、おかしな方向性や決定に何らの疑問も挟まなくなるという話。
カルト的な宗教団体や極左や極右の暴力集団が超法規的なことを行うときに、宗旨やイデオロギーだけでなく、組織の論理が精神を支配していくとの論理だろう。近代に、普通のサラリーマンがそうした論理に蝕まれた事例があるとの指摘であった。宗教や思想集団は悩みや若さゆえの汚れを知らぬ経験不足など何らかの理由で洗脳されていく。そうでなくて暴力や教義によることなく、組織運営の中で、そうした感覚に染められてしまう一般人がいるという。そもそも真面目な人達だ。
私がなぜおかしな決定や考えに異論を挟まず手を染めていく部下がいるのか、最初からからなのか?という疑問を問うたところ、それに対する答えがこれだった。昔から「洗脳」を忌み嫌ってきた。嫌な話だ。