兵庫県公館で今年度退職を迎える職員の「60歳のつどい」が行われたという。これは長年にわたって県で勤務してした退職者の労をねぎらう趣旨で行われてきた式典。


知事の挨拶を受けたあと、参加者が順次、知事を囲んで記念写真を撮影し、記念品を受け取ってそれぞれ仲間や同僚との昼餐の会場に向かうといった流れだそうだ。近年はコロナ禍と知事の意向もあって中止したり、参加者を限定するなど縮小して開催されてきたという。


縮小開催については、退職者や見送る側の幹部職員からも「この日ぐらいは知事も職員に感謝の気持ちを表せば」「平常開催すべき」といった声があがっていたそうで、今年度は対象者をもとに戻して開催されたという。


知事の挨拶では元局長による自らや側近への批判文書についても触れられたそうだ。逆に声にはならないものの、あの文書に理解を示すような出席者の声も伝えられてきた。県の最高幹部が勤務中に知事批判の文書を作成するといった事態は県職員として初めての経験という職員もいた。もちろん多くの参加者は自らの思いなど吐露する場もない。渡瀬氏と同じ年、60歳の退職者は何を考えるのだろうか。



この事案が報道された27日、当HPのアクセス数が急上昇。最もアクセス数が多かったのは西播磨県民局長のメッセージのリンクを紹介したページである(現在はメッセージそのものが全て削除された)。


兵庫県のことではない、と注釈をつけてもどう考えても兵庫県のこととしか思われない内容があった。だから見た時に驚いた。一方でこれは県民向けではなく県職員向けのメッセージに見えた。これは本来あまり好ましいことではない。しかし、読んで涙したという職員もいて、組織がここまで崩れてきているのだと改めて気付かされた。また、消されるかもしれないと思い、ツイッターに残している人がいるというのにも驚いた…。


そういえば、27日の知事会見をみたという一般の方からその感想が届いた。40年近く働いてきた人に対する部下への思いが全く感じられないというものだった。今の県政に関わっていると見ていてもそういう感覚にはならなかった。いつものことみたいになってきているから。外部の方のものの見方や感覚こそ大切にしなければならない。