しかし、年末、行くところ行くところで「政治と金」の話が持ち出され、私なりに説明するなどしているが、ネットを見ていると朝日新聞のHPで「なぜ裏金が必要なのか 政治とカネの歴史を知る元首相秘書官に聞いた」という記事に行き着いた。

細川政権で首相秘書官を務めた成田駿河台大学名誉教授だった。懐かしいお名前だ。中身は90年代の話が中心で特に新しい話はないが、紙面では以降も特集で報じられていることがわかった。その中の政治家側にいて実務を知る人が語っているのが下記リンクの記事だ。
当時は陣中見舞で領収書をもらう派閥の親分なんて野暮だったということだろう。

これは田中角栄元秘書の朝賀昭さん。現在の事件とは比べものにならない、生々しい政治資金を扱っておられた方。今の永田町では伝説の方であり、息子さんは私の永田町時代の先輩である。

下記リンクは私の日記だが、上の記事と中身がほとんど同じである。読む人によれば私のほうが後なので、記事を盗用したと指摘されるのではないかとすら思った。
 


しかし、当時、企業が「陸山会」の領収書を欲しがったという話には笑った。よく意味がわかる。

私は学生時代に衆議院の奥田敬和先生の事務所に入った。と同時に「敬山会」という名前の入った名刺も渡された。この政治団体の名前が角さんの後援会「陸山会」からきていることくらいは当時の私でもわかった。

当時の名刺入れ

議員会館時代の私。写真は後輩が撮ってくれたので20歳ですね。


上の名刺を探していたら懐かしい議員会館のシフト表を見つけました(笑)。4年生の先輩が卒業して2年生になった私が学生のシフトを組んでいました。これはワープロ。時代ですね。私の名前の後ろにパレと書いてあるのはあの“パレ・ロワイヤル永田町 ”勤務ですね。

議員会館が表の事務所とすれば、パレ・ロワイヤルこそが奥田先生のいる真の事務所。ここに入るときの私の業務は議員会館とは全く異なるもので、他の学生が呼ばれることはありませんでした。永田町の中でもパレ・ロワイヤル勤務歴、しかも学生でというのはかなりレアというよりいなかったでしょうね。いま私がたまに当時の話をして色々解説できるのはこの経験があるからです。しかし、その後に私の上司となった方がリンクの中で目茶苦茶言ってますね(苦笑)。

また、朝賀さんは朝日の紙面で同じく角さんの筆頭秘書であった早坂茂三さんのことに触れておられます。同氏の本『駕籠に乗る人担ぐ人』を私に薦めてくれたのは鵬志会時代の友人でした。どハマリして、他の本も買いました。薦めてくれた友人は政界に進まず官界に進みましたが(笑)。

こうした本はいまも私の本棚にあります。早坂茂三さん晩年よくテレビにも出ておられました。渋みのある話し声でしたね。

『捨てる神に拾う神』という本もあったが、下記リンクの戦国大名 宇喜多秀家の話も興味深い。東軍に敗れた西軍、その敗軍の大将を匿うことにどれほど大きなリスクがあっただろうか。当時一族郎党まで処刑されていたらこのような良い話は残っていない。歴史というのは面白い。


戦国時代の「関ヶ原の戦い」の東軍と西軍のどちらが個人的に好きかと言えば、昔から西軍だった。石田三成が好きなわけではないが、小早川秀秋の立場を弁えぬ裏切りは嫌いだし、弱い方を応援する癖があるのかもしれない(苦笑)。それが国益に叶うものであったかとかの議論は別として。

今日ようやく個人の年末年始の準備をすることができた。毎年30日がその日。

ぎりぎり、JR播但線に乗り込み姫路。中学時代のバレー部で一緒だったYくんが帰省してきたので同級生と囲む会。しかし、皆よく食べる(笑)。