JR姫路駅前。定例の朝の街頭演説。今年最後の演説となる。






その後、二階町のはまもとコーヒー。新聞各紙に目を通す。

昨日の地方選挙で注目されていた東京都の武蔵野市長選挙と市議会補欠選挙が行われた。

 


前市長の国政転出に伴う市長選挙と補欠選挙だが、市長選挙は前市長が応援した人が勝つと思っていた。私が注目していたのは後者。



世襲ではないと親子で言っても、世間からは世襲と言われるだろう。なんでこれを世襲でないとかいうのかわからない。

政治家の世襲を禁止すべきという声はどこを回っていても一定聞かれる意見。定年制と並んで昔からある議論である。

反対する理由は、世襲は選挙に有利となるので能力を欠いていても当選してしまう、といった不公平感と、江戸時代の藩治制でもあるまいし、なぜ同じ家の人ばかりが代議士になるのかといった漠然としたもの。

地域によっては衆議院で4代同じ家の人が出ているというところがでてきている。小選挙区では、他の家の人が出て当選すること自体が難しい。旧長州、山口県の衆議院の歴史をみれば実際に難しいことがよくわかる。

政治家だけでなく、周囲には親と同じ職業に就く人がたくさんいるのに、なぜ政治家だけ世襲批判があるのだろうか。しかも、政治家だけは、他の公務員と違って選挙で選ばれる、つまり有権者の選択の結果であるにもかかわらず。

世襲が選挙に有利な理由は何か。まず、昨日も記した選挙の3大要素「地盤・看板・鞄」のうち、地盤を受け継ぐことができるから。

「あなたのお父さんに世話になった」と最初から下駄を履かせてもらえる。国会議員だから地方議員だからなんて関係ない。地盤を継ぐなら世襲である。その意味で上記リンクは単なる世襲。くだらない。

ならば世襲を否定、禁止するのか。親が政治家をしているから、その子が政治家を選ぶのは違法というのは現憲法下ではありえないと思っている。

世襲批判のうち大半は、子どもがボンクラなのに当選してしまっているという、国や自治体の損失を嘆いてのもの。この事例は確率論から考えれば50%は正しいし、半分は間違っているはずたが、そんなにも高くなく、親より優秀な人もいるといった感じ。官房長官になった林さんとかはこの部類に入る人と永田町では見られているだろう。

親より優秀な人物が、親がやっていたからといって政治家になる機会を失われるなんてことは今の御時世いただけない。それは法令で定めることではなく、政党などが任意の数ルールで決めるべきものである。

親が、自分より明らかに劣る、国や自治体にとって得にならない後継者を我が子可愛さで後継者として指名するというのは残念なことだが、それを有権者が選択したらそれは有権者の選択を検証すべきことで、それまでの話である。

他にも政治家と同様に世襲が多い伝統芸能や医師などの職業がある。後者に批判はないとも。


試験を受けているから世襲ではないという人もいる。であれば政治家の立候補に試験を組み合わせるべきだという人がたまにいる。現行の選挙による民主主義に、学力検査を加味して、立候補する基準を定めて一定の能力を確保すべきという考え方。

これが実現すると世襲批判は少し減るだろう。しかし、こうした制度は今の、有権者が平等であるという一票の格差という議論をも失わせる可能性もある。試験導入ができれば面白いがかなり難しいと考えている。

話を戻そう。
武蔵野市を先月訪問した。地方自治体交付税の不交付団体であり、様々な施策を導入していることもわかった。

僅差とはいえ、現職の後継が敗れた。市議補欠選挙での世襲がなければ後継は勝利していただろう。武蔵野市のようなリベラルな土壌で、世襲をあからさまに見せつけて、市長選挙に影響がないわけがない。簡単な話である。

自宅での酒量がかなり増えていると指摘されたが、抑えるにはご飯を早いうちに食べればよい。ご飯を食べながらお酒を飲むことは難しいから。今日から実践。

昼食は白浜町の南里飯店で餃子と焼きめし。私が麺ではなく焼きめしを食べているということはダイエットをしていないということになる(笑)。