神戸の県庁。県議会健康福祉常任委員会の閉会中調査。福祉部のユニバーサル推進課、障害福祉課の所管事務について説明を受けて質疑応答。


当日資料

https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/joniniinkai/kenko/documents/shiryou2kenkour041117.pdf


私からは火曜日に委員会で訪問した兵庫県医療的ケア児支援センターを受託した「きずな」の相談体制が充実してしたと感じたことからその更なる活用、県としての広報について、また、自殺対策、LINEを活用した相談対応について質問など。


午後からもコロナ対策について社会福祉法人の理事長らを参考人として委員会に招いて、クラスターの発生状況等について説明を受け、質疑応答。


その後、同僚議員と意見交換など。


その後、神戸市中央区選出の原吉三議員が、今月10日に 誤嚥性肺炎のため亡くなっていたとの報告が議長から各会派役員にあったという。6月議会の正副議長選挙のときに病床から出席されていたときが私が見た最後の姿となった。


原先生とは何度か同じ常任委員会に所属したことがあり、私が関西広域連合議会に派遣されたときもご一緒した。


広域連合議会には近隣府県や政令市の重鎮議員が派遣される場合も多いのだが、流石に当選8回、年齢81歳の重鎮議員。そんな場でも怯むことがなかった。広域連合の常任委員会で颯爽と挙手すると、質問するのかと思いきや、阪神淡路大震災の復旧対応、自衛隊の支援、兵庫県と近隣府県の関係などの長広舌をぶって、兵庫県議会に原吉(時にハラキチという愛称で呼ばれた)ありと知らしめたものだ。


ご自身が兵庫県議会議長を務められたとき、私に本会議質問の機会があったのだが、残り時間が僅かで再質問を許可するか判断の分かれることがあった。「君の質問は良かったから、大目に見てあげたよ」と終わってからこそっと教えて下さった。今はもう時効だろう。それ以外のときも「あれ、いい質問だったぞ」などとよく声を掛けて下さった。


病魔に倒れたものの、再起を果たさんと懸命にリハビリ等に取り組んでおられたのだと思うが、最後は誤嚥性肺炎で帰らぬ人となった。あのニコニコとした笑顔の原先生の在りし日を思い出す。ご冥福をお祈りしたい。


昼食は県庁西のマルシェでカツカレー。