旧知の方から電話があり、すぐにでも話を聞いてほしいことがあるという。自宅で話を伺う。ご自分のことだけではなく今後のことも考えて行動しておられるのだと思う。結論としては簡単な話ばかりではないがそうした問題が今後益々増えていくという想定のもとに住民の安全安心のために何ができるかを考えなければならない。

その後、五軒邸方面。NPO法人ひょうご里山11の役員会。今年度から顧問を拝命している。里山の維持保全のために、様々な活動を行うことになっており、佐用町にあるひょうご環境体験館で行われる体験事業に講師を派遣するなど活動している。

役員会の会場は立派な欄間彫刻などのある和室。会員の茶華道教室師範K先生がその場でお華を飾られ、素晴らしい雰囲気。





そこで私の目にとまったのが掲げられた額「研精不倦」でした。

「実美」はわかりましたが(印は藤原實美、梨堂とあります)。あとは精不は読めますが…。早速書道をやっている妹に写真をとって転送です(笑)。

「研精不倦(けんせいうまず)」
(研究に精励することに、飽きることはない)。
だそうです。

揮毫の「実美」は、明治維新の元勲 太政大臣を務めた三条実美ですね。藤原氏の一族。京都の三千院にもこの「研精不倦」の額が掲げられているそうです。

調べると、「研精」という言葉は『後漢書』「盧植」列伝にありました。盧植とは三国志で若き劉備玄徳が師事した盧植先生ですね。

 盧植字子幹、涿郡涿人也。身長八尺二寸。音聲如鍾。少與鄭玄俱事馬融。能通古今學、好研精而不守章句。(『後漢書』盧植伝)

 盧植(ろしょく)、字(あざな)は子幹、涿郡(たくぐん)涿の人なり。身長八尺二寸(約188センチ)。その音声(こえ)は鍾(かね)の如し。少(わか)くして鄭玄と倶(とも)に馬融に事(つか)える。能(よ)く古今の学に通じ、研精を好み、而して章句(※注)を守らず。

竹内書き下し

※注
章句とは、儒教などで行われた経典解釈学の一形式。経書を句や章節で区切り学ぶ形式で、後漢時代では古い考え方として否定的に捉えられていることが多い。盧植は進歩的な学者だったということでしょう。

日本では、菅原道真の伝記やその後の天神神社の成立ちなどを記した『天神縁起』などにも「研精」の記載が見られます。

菅原院と申は、菅相公是善の家なり、そのかみ菅相公平生のとき、彼家の南庭に五六歳はかりなるうつくしき児のあそひ給けるを、相公みたまふに、容顔体兒た、人にあらすとおもひて申たまひけるは、君はいつれの家の子男そ、なによりて来給うととひ給に、こたへたまふやう、我さためたる在所もなし、父母もなし、相公をおやとせむとおもひ侍なりとおほせられけれは、相公よろこひて、いたきたてまつりて寵愛し、研精せしめたまひけれは、天才日新なり、これを菅贈太相国とは申ける(『天神縁起(建保本)』)。

天神縁起では菅原道真は突然現れて養子になったということになっているんですね。知らなかったです。

「必ず実物に拠りて、以て精研す」『蘭学階梯』なども。


『研精不倦(けんせいうまず)』
簡単に言うと勉学に終わりはない!ということでしょうか。わかったようになったり、途中で諦めたりしていては駄目ですね。いつまでも青臭くいきたいですね。
ということで勉強になりました。このあとの懇親会では、市川町のそば職人Kさんの打ったそばを頂きました。ごちそうさまでした!


その後も市政関係者と意見交換など。