事務所で作業。過日の本会議での一般質問の答弁実績が届いたので、当日の下記日記については、質問全文に加えて答弁部分を加筆修正しておく。

 

 

その後、相生市へ。同市出身の旧知のKさんからご当地事情を聞き、紹介された店舗などを訪問。

 

その後、県立相生産業高校。今年度末で定年を迎えられる高校時代の恩師 S先生を校長室に訪ねる。コロナ禍ということで迷ったが、卒業式も終わり、来年度に引き継ぐ人事などに注力されていると聞き、ならばと訪問。様々なことを話す。

 

慰労の言葉を聞くのはそこそこに、教員を目指す人を増やすことのほか様々な献策を矢継ぎ早に発言される。「いま文教委員だろ」。「ハイ、その通りです」。先週の文教常任委員会で私が全く同じ趣旨のことを発言したこともあるが、結果が伴っていない。平身低頭。相変わらず辛口かつお元気で定年後も教育に関わっていかれるそうだ。まだまだお若い。

 

 

同じクラスだった近隣の同級生に早速このことを写真を添えて報告すると、「我々が今47歳で当時18歳だから29年前は31歳!当時の先生は貫禄があった」と(笑)。確かに。当時とそんなにお変わりないですね。加えて、私の貫禄を指摘する声も(苦笑)。当時、私の体重は60キロなかったですね。この写真をみると私、貫禄というよりかなりまずい域にまで達していますね…。

相生産業高校の様々な取り組み。むかし、私の妹Mも単科の講師でこの学校に来てたんです。

S先生には、高校3年生のとき担任して頂きました。先生との当時の最後の三者面談、進路指導に従って国立大学へ志望変更、受験進学していたら私の人生は全く違ったものになっていたでしょう。政治の世界に入ることは絶対になかった。そういう意味では、あのとき数日迷ったこと、進路変更していたらどんな人生になったのだろうか。そんなことも思い出しました。
 
私が保育所から大学まで担任して頂いた先生方の中で、2人の方がまだ定年前でご活躍中でしたが、S先生の定年により、残るはお一人となります。私も少しずつ年齢を重ねている。しっかり独り立ちしていかなければならない。改めてそう思いました。
 
その後、事務所に戻る。父の同級生のMさんがかなり久々に来訪。去年の秋にある弁護士事務所のスタッフを退職したが、仕事をしないまま数ヶ月自宅で寝起きしていると、次第にいても立ってもいられなくて、ハローワークに行ったりして、様々な仕事を考えたり探したりしているとのこと。私なりに知っている職業の話などをさせてもらう。
 
その後、北条の中播磨県民センター。諸手続き。その後、Hセンター長は不在だったが、O副センター長と話す。銀の馬車道修築碑関連イベント、知事と西播磨管内首長との意見交換会の準備の話など。


その後、再び事務所に戻る。その後も外出。久々に22時前にソファーで眠ってしまう。起きると午前3時過ぎ。いろんな連絡をもらっていたが、この時間に返信する訳にもいかず。再び眠る(笑)。



昼食は相生市立水産物市場内の魚雅で海鮮丼。天丼や鰻どんと同じ甘ダレ。初めてかも。いや初めて。平日だが外のバーベキューコーナーなども観光客の皆さんで賑わっていた。時間がなく3分でかきこむ。