妹Rから連絡。実家ご近所のFさんの訃報だ。私が小学生の時に将棋をゼロから教えて下さった方。その頃既に退職されていたが、もとは関西配電(現 関西電力)にお勤めの技術職で電気関係のことに詳しく、ご自宅の離れの1階には様々な電気機器や萬力など見たこともない道具などがところ狭しと並んでいた。
 
電池の残量があるかどうかを計測するテスターもそこで初めてみて、使い方を教えてもらった。凄く便利な機械だと感じて、自分でも学生の時に購入。いまは私が息子に使い方を教えている。
 
Fさんは他にも多趣味で、ラジコンを操ったり、写真を自ら現像されたりして驚いたものだ。
 
特に玄人はだしだったのは絵画。色んなところに出掛けては鉛筆でスケッチし、水彩で色をつけられていた。広島県尾道市の街並みが特にお好きで、姫路から青春18きっぶを使って尾道に行ってきたと描いた絵を何度もみせてもらった。姫路市立美術館の友の会の活動にも率先して参加されていた。
 
また、発売したばかりのファミリーコンピュータを購入され、将棋ソフトなどで遊んでおられた。新しいもの好きでもあった。私と親子以上に歳は離れていたが、本当によく遊びに行ったものだ。
 
私が議員になってからも、挨拶に行くと「政治家になればお酒の席が多くなるやろ。ちょっと口をつけてあとは飲まんでええんやで」。飲み過ぎて身体を悪くしてきた人を見てこられたのか、私の健康の心配までしてくださった。守っていないので申し訳ないが…。
 
家族葬ということでお別れのためにご自宅にお悔やみに行く。病気ではなく天寿を全うされたという。幾分痩せておられたが、優しい寝顔。生前も怒った姿を見たことはなく、いつもにこやかな柔和な方だった。落涙。
 
ちょうど枕経をあげるためにお寺から住職さんが来られていたが、私が竹内だとわかると「故人は生前よく竹内さんの将棋のことを言っておられましたよ」と教えて下さった。なんと…。
 
私が中学3年生のときに県子ども会の将棋大会で入賞したときのこと、殊の外喜び、日本将棋連盟の谷川先生の扇子を私に下さった。
 
当時の新聞記事を30年振りに持ち出してくる

1989(平成元)年11月6日 神戸新聞
結果(同7日)
 
私にとってもこうした大会に出たこと自体が初めて、県レベルの入賞など将棋の分野だけでなくあらゆることで初めてのこと。嬉しかったし少し自信につながった。Fさんがいなければ絶対になかった経験だ。
 
一つ年下の奥様や息子さん、親族の皆さんにも、これまでの思い出や感謝を伝え、お宅をあとにする。本当に色んなことを勉強させてもらった。Fさんに感謝だ。大正11年生まれの99歳。天寿を全うされたと思う。天国でも色んなことに楽しみながら取り組まれると思う。合掌。
 
 
その後、実家に寄ったのち、退院してきた姪の見舞い。姪は最悪の事態を回避できたものの両手骨折、ギプス※という状態で今後過ごさなければならない。最悪回避で運が良かったというには見ていて痛々しく可哀想だ。
 
※ギプスは「石膏」を意味するドイツ語の「Gips」(オランダ語の「gips」が語源)が日本に伝わったそうで、俗に言うギブスではなく、ギプスが音としては正しいいそうだ。これを記載するに際して迷ったので調べました。
 
その後、帰宅してMBSテレビを見ていると姫路の銘菓がクイズで取り上げられていた。
 
 杵屋さんのバームクーヘン「書写 千年杉」である。姫路の我々の世代ならほぼ100%知っていることだが。稲ちゃんなりのボケをかましていた…。
 
 
ハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地 書写山圓教寺のロープウェイ麓駅近くにある杵屋さん店舗での主演 トム・クルーズさんの大人買いとして姫路では有名な話。またトム・クルーズさんは撮影滞在中、神戸ポートピアホテルからヘリコプターで毎日こちらへ撮影に来ていたという話も逸話として残っている。
 
ということで、杵屋のN社長、弟の私の同級生Yちゃんに、見ましたよと連絡。最近この番組以外でもテレビで取り上げられることが続いているそうだ。凄い。姫路駅のピオレお土産館でも売られているのでどうぞ。そうそう、映画撮影当時に、姫路駅の新幹線ホームで助演の渡辺謙さんを見かけたのを思い出した。懐かしい。
 
その後、高校の同窓会の大阪・京都・神戸支部の合同イベント。コロナ禍ということでウェブ開催。
 
形式:オンライン(zoom)
内容:講演+質疑応答
講師: 岩城正良さん(元朝日放送  「アタック25」プロデューサー。姫路西高33回生)
テーマ:「アタック25・児玉清が教えてくれた10のこと」
 
私は支部所属のメンバーではないが、企画した大阪支部のN先輩が声をかけて下さった。冒頭各参加者から自己紹介を兼ねて挨拶。zoomというのはやはり緊張する。しかし便利だ。
 
私も結構アタック25は見てきたと思うが、児玉清さんというのは見たままだったということが改めてよくわかった。まさにダンディズム。また番組の裏側の話なども聞けて楽しかった。また番組に出るための予選クイズの体験もさせてもらったが、本線に出られるレベルではなかった。時事や芸能にも強くないと話にならない。
 
地上波での放送は46年で終了したが、ジャパネットたかたのBS番組で引き継がれていくとの情報もあるのでそうした動きにも注目だ。

 

 

 
 
昼食は広峰のモスバーガーでテイクアウトのスパイシーWモスバーガーだったが、掲載には申し訳ない写真しかないので控えて、昨晩の神屋町の焼鳥大勝の焼鳥ヒップを代わりに。