神戸の県庁。会派の管内調査。まず神戸市兵庫区中之島の「初代県庁館」。県立兵庫津ミュージアム計画として先月11月3日に先行オープン(こちらのみ入場無料)した(もう一つの「ひょうごはじまり館」は県政資料館的施設となる。計画等は以下のリンクから)。

県立兵庫津ミュージアムの整備について


私は県政150周年の事業としてこの計画を耳にしたときから、議会で取り上げてきた。初代県庁時点では姫路は兵庫県ではなく飾磨県に属したこと、初代県庁舎は江戸時代の大坂町奉行の勤番所であり、それを再現することと明治維新による兵庫県の設置を記念するというのは違う、4ヶ月だけの期間であったことからあくまで仮の庁舎であったのではと考えたからである(末尾にそのことについて質問した2017年度の予算特別委員会、議事録を掲載)。とはいえ、完成した以上、多くの人に見てもらわないといけない。




地図。当時の場所は運河となって水没しているため近くの元中央卸売市場用地で再現されている。




バーチャル体験。5人が体験しました。

喫茶スペース。ひょうごはじまり館がオープンしたら供用される予定。


芝生広場。背景にイオンの看板が見えます。

隣接のひょうごはじまり館は建設中


県産木材をつかって復元したという初代県庁舎ですが、現在は平面図と外壁図しか残っていないため、建物は現存する滋賀県の草津宿本陣や香川県の塩飽勤番所を参考に時代考証し復元したといいます(2019年7月17日総務常任委員会竹内質問)。

2館合わせての総事業費は約32億円。土地は神戸市から無償貸与されている(今年10月7日の決算特別委員会竹内質問。末尾に議事録)。

来客用の駐車場がないようで、事前にバスで来るなどという情報があれば近くのイオンに駐車場を借りるなどしているそうです…。神戸市内の交通事情を知りませんが、中心部ではないこのあたりでもそういうものなんでしょうか。もうすぐ行革特別委員会が行われるという中、この事業については考えさせられることが多いです。他の議員もほぼ同様の感想でした。

その後、丹波市にある丹波県民局。会派の政務調査員班長だったEさんに今回の調査の窓口をお願いしていた。



県民局すぐ近くのたんば黎明館にて、丹波県民局の移住・定住促進の取り組みについて説明を受け、質疑応答。移住コーディネーター(タンバサダーと呼称)の設置や下記資料のような様々な取り組みを行っている。

上野幹事長の挨拶

丹波県民局の日原たんば暮らし参事の挨拶





NPO法人giftが委託実施している下記リンクのソシエテリベルテ事業(丹波県民局「移住環流プロジェクト推進事業」)。具体的で面白い。
 


その後、同じ場所を借りて、丹波農業改良普及センターのスマート農業の展開についての調査。ドローンをつかった農薬散布の実証実験や自動草刈り機などの取り組み。

永井普及センター所長の挨拶

ドローン










農薬散布のムラ発生などまだ技術の向上が必要なものもあるが、農業従事者の高齢化が進んでおり、重労働からの開放は喫緊の課題という。実験成果は丹波だけのものでなく全県に紹介できるような大変価値のあるものだと思う。

平成29年度予算特別委員会(2017年3月7日)
○(竹内英明委員)
 通告に基づいて、県政の150周年記念事業について、お伺いする。
 まず、歴史的な事実の確認なのだが、この施設というか建物の跡は、戦国時代に池田恒興が兵庫城を築いた。それが1580年で、それ以降、江戸期に入ると尼崎藩が支配して、飛び地で兵庫陣屋として活用していた。それが江戸時代の天領を増やすという、いわゆる上知令の命令によって、尼崎藩から幕府が召し上げて直轄領とした天領。天領の中でも、ここは大阪町奉行が管轄し、町奉行所の出張所である勤番所、これは「兵庫勤番所」と、こういう名称であるが、これが明和6年、1769年に置かれた。そこで、明治政府がその100年後に新たに作られると、幕府が負けて明治維新となるわけである。
 その際に、幕府が最初に兵庫鎮台と、そして鎮台を「兵庫裁判所」という名称に変えて、そして次に「兵庫県」という名称に変えた。これが慶応4年、1868年の5月23日、このときは旧暦を使っているので。
 これは1868年の5月であるが、その4ヵ月後、同じ年の9月には、場所をそれまでは兵庫区にあったが、現在の神戸地裁のある神戸市中央区橘通、もともと「坂本村」と呼んでおったところだそうだが、ここに新しい兵庫県庁というのを開設をしたということで、これは4ヵ月しかここには看板がなかったということなのだが、これで再現するのか。まずこれを確認させていただく。

○地域振興課長(甘利英治)  初代県庁を復元することの意義についてお答えする。
 委員ご指摘のとおり、慶応4年には、兵庫津に初代県庁が置かれた。それから100年を経て、迎えた昭和42年には、さまざまな県政100年記念事業が県内各地で実施されたところである。それからまた50年がたち、人口減少社会の到来など時代潮流が変化する中、県政150周年を迎えようとしているところである。
 県民とともに、この節目を祝って、新たな兵庫づくりにふさわしい多彩な記念事業を展開しようとする中で、神戸県民センターが、神戸市や地元と一体となって、県庁発祥の地について、多くの県民が歴史を振り返ることができる場所として活用することを検討しているところである。
 こうした中、初代県庁舎の復元については、地域の歴史・文化資源を生かした、まちの活性化のシンボルとして、地域住民の願いをもとに、平成18年に県が設置した検討委員会などで議論が積み重ねられてきた。
 今後、場所、規模、内容については、有識者等による委員会で議論を行うとともに、県政資料の展示内容・方法や、大型ショッピングモールの開業による人の流れや清盛塚・兵庫大仏など周辺地域資源を生かした交流拠点としてのあり方も検討することとしている。
 これらの議論を踏まえて、基本方針や事業計画の承認をいただく推進協議会に記念事業としての位置付けをお諮りしたいと考えているところである。
 兵庫県には、兵庫津だけでなく、銀の馬車道、国生み神話ゆかりの文化財など五国それぞれに兵庫の歩みを今に残す貴重な歴史・文化資源がある。記念事業では、これらの地域資源を活用して、五国の連携と交流によって調和のとれた雄県として発展してきた歴史を県民に伝え、さらに市町や民間事業者とも連携しながら、交流人口の拡大や地域の活性化に資する事業を展開することで、県全体で節目の年を盛り上げたいと考えているので、ご理解いただくようよろしくお願いする。

○(竹内英明委員)  ありがとうございます。
 150周年を記念するイベントをする、これは私、全然反対ではない。例えば100周年、県立こども病院というものを作った。それ以降、兵庫の子供医療というのがどれだけ先進的なことを生んでいるか。これは大変すばらしいことだと思う。
 しかし、この勤番所を再現するのだろう、勤番所の資料しか残ってないから。これ、国会図書館レファレンス協同データベースでは、これについてどのように書いてあるかと、初代兵庫県庁の写真というか図である。これは旧勤番所を兵庫鎮台、兵庫裁判所、兵庫県庁とそのまま流用したものだと、このように書いているのである。
 これは初代の知事は伊藤博文である。伊藤博文というのはその前年まで幕府と戦争をしておったわけである。まさにクーデターをしておったと。それで戦争をしておった者がこの神戸の地に来て、兵庫県庁だと。当時、花隈に住んでおったようであるが、幕府の建物を再現してほしいと、今、生きておったらそのように思うか。いや、本当の話をしているのである、これ。新しい施設を造るというのであれば、坂本村には地裁があるから、もう今そこに建てることはできないが、これが新しい明治新政府のシンボルじゃないのか。兵庫県のシンボルじゃないのか。何で幕府の大阪町奉行所の、それも出張所である。これを再現するというのは、歴史を振り返って、それに歴史価値があってすごいと。例えば勤番所は全国に全く存在してないというのなら分かるのだが、これは私、ミニチュアで表現されている、再現されていると思うが、あれで十分だし、その場所を地下鉄のもっとにぎわいが欲しいというようなことも見たが、それだったら私どもの会派からも言わせていただいが、例えば神戸ビーフ館をあそこに造るとか、その方がよっぽどいいと思う。
 今も十分、県公館でその機能を果たせると思うし、そこにそれだけの今、人数が来られているのか。にぎわい活性になっているのか。違うと思う。やっぱり観光として使うのであれば、それなりの歴史があるものをしていかないといけないと思うので、ここは今後ともちょっと議論していきたいなと思っている。
 それと、150周年全体の事業の中で、これは対外的に打って出るべきだというような提言がある。これ、歴史を調べてみると、慶応4年、1868年の閏4月21日に、新政府が政体書というのを公布して、ここでは廃藩置県の1段階、2段階前の府藩県三治制というものが導入された。これは江戸幕府の直轄に置かれておった裁判所を廃止して、城代とか京都所司代、奉行が置かれていたところを府、その他を県として、藩はそのまま残されたというものである。
 兵庫県は慶応4年の5月23日に設置をされているが、実はこれ、兵庫県がこの近隣で一番最初だというのなら、これは他府県のお客さんに来てくださいということがあってしかるべきかなと思うのだが、実はもうその前に、例えば京都府は政体書から3日後の閏4月24日に、もう京都府になっているのである。それで、京都府のお隣、大津県、これは滋賀県だが、慶応4年閏4月25日、京都に遅れること1日、大阪府が同閏5月2日、お隣、岡山の倉敷県が5月16日、奈良県が5月19日、これが兵庫県より先にもうできているのである。
 ということは、もう近隣の関西で兵庫県が他の府県にPRする、共同でPRするんだったらまだ分かるが、単独で何かをするということは、もうはっきり言うと意味がないのである。
 だから、あと3年後には廃藩置県もあるわけであるから、私はそういう記念施設を造るというより、むしろ兵庫県の歴史的な成り立ち、そういったものを県民に知らしめるという、特に若い子供たちとか学生さんにそういったことを知らしめる必要がある。
 政調会でも多くの議員から、その箱物建設には疑問のある質問があったと聞いているが、私は県民に対するソフト事業を中心に実施すべきだと思うが、いかがか。

○地域創生局長(濱西喜生)  県政150周年は、県の成立から150周年の節目を祝うとともに、これまでの歩みを振り返りつつ、今後、進むべき方向を県民とともに考え、また、国の内外に対して本県の多彩な魅力を発信する機会として、さまざまな取組を展開していきたいと考えている。
 記念事業の基本方針や事業計画は、地域夢会議や県民モニター調査を通じて幅広い県民の意見を収集し、有識者等からなる企画委員会で議論した上で、来年度設置する推進協議会において取りまとめることとしている。
 この中では、まず第1に、県民主体の取組として実施すること。第2点目としては、銀の馬車道など各地域の歴史・文化資源を活用した地域間交流や誘客を促す取組を展開すること。それから3番目に、先ほど委員もおっしゃった未来の兵庫づくりの主体となる若い世代が中心となる事業を多く展開することなどを重視している。
 県民主体の取組への支援としては、来年度は、県民や地域団体などが記念事業のコンセプトに沿って行うイベント等への助成として、3,000万円を計上している。平成30年度には更に本格的に実施していきたいと考えている。
 また、五国の魅力を発信するプレフェスタの開催や、小学生の作文・図画コンクール、中学生向けのマンガ「ひょうごの歴史」などの作成も考えている。
 こうした取組を通じて、県民の機運醸成を図りつつ、地域の資源や特色を生かした、地域の活性化につながる県政150周年の節目にふさわしい記念事業を、県民や地域団体、市町等の意見を幅広くお聞きしながら検討していきたいと考えているので、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いする。

○(竹内英明委員)  ここで一つ、本会議で先輩議員が発言された内容を少し引用させていただきたいと思う。兵庫県の成り立ちに関してなのだが、数百年も続いた封建制を打破した廃藩置県という大改革は、国家的・中央的見地で上から一方的に、かつ性急に進められ、それぞれの地域特性や住民の要望など、二の次というより、全く無視をして、いわば五つの国をばらばらに分解して、政府のご都合で強引に組み合わせ直して、二つの海にまたがる全国に例を見ない大規模広域複合県にまとめ上げた。このことが我が兵庫県が政治的・恣意的複合県、その時々の思い付きで合成された県と呼ばれるゆえんとなったものである。とりわけ面積、人口、そして66万石余りの石高と、優に一国一県の実力を持ちながら、幕末期、老中首座にあった酒井侯の姫路藩は、鳥羽・伏見の戦いで幕軍が敗れると、朝敵とされ、文字どおり貧乏くじを引かされ、屈辱的な扱われ方を余儀なくされたのである。一国一県の実力を持ちながら、強引に兵庫県に編入された我が播磨では、再三、分県運動が繰り返され、政府の管内巡察使の到着を待ち構えて、姫路の商人の代表らが「維新前は物産が豊かだった播磨は、今では衰退甚だしく、人民が萎縮し、勉励の気力を失っている。これも兵庫県に合併されたせいだ。播磨は天下の金庫のような豊かな国なのだから、分県を認めてほしい」と訴えた歴史があり、分県の望みが消えた後も、県庁の姫路移転請願などに形を変えながら、伏流水のように後年まで折に触れ、顔をのぞかせているのである。
 これは、平成12年12月議会の、この予算特別委員会の委員である五島壮一郎先生のご尊父、五島たけし先生の発言である。これは古いのだが、私、この県庁移転は選挙の公約とかいろんな形で五島先生から直接、ご教授賜ったことがあるが、実は我々姫路、この中でもいらっしゃるが、例えば「郷土史ひめじ」にもあるが、県庁がなくなったと、飾磨県が失われたと、こういうような意識の人が非常に多いのである、今でも。だから、何か施設の話とはちょっと別になるが、こういう意見もこの150周年をやるときには丁寧に拾っていただいて、全て一緒になったから良かったということばっかりではないということも、ここはちょっと併せてお伝えをしておきたいと思う。


■2021年10月7日 令和 2年度決算特別委員会・速報版(第4日10月 7日)

○竹内 英明 委員
それでは、次に移る。次は、県立兵庫津ミュージアムの整備についてである。
 これについては、過去に議会で質問した。来月の11月3日に初代県庁館が復元されオープンする。それに併せて、博物館施設であるひょうごはじまり館も来年度に予定されている。
 経緯等は、皆さんよくご存じなので省くが、決算なので、用地取得を含めた総建設費、これについてはふるさと納税による支援の対象であり、初代県庁復元等応援プロジェクトが寄附メニューにあった。これの金額も併せてお知らせいただきたい。

○兵庫津ミュージアム整備室長(岸本健吾)  初代県庁舎が置かれた兵庫津において整備を進めている県立兵庫津ミュージアムは、本県の成り立ちや五国の魅力を広く発信することにより県民の地域への愛着を育み、県内におけるにぎわいの創出を図る施設である。
 整備費については、平成30年度から令和4年度までの建設展示工事にかかる総予算は約32億円であり、敷地は県市協調事業として、神戸市から無償貸与を受けている。
 また、本施設の整備を応援いただくふるさと納税については、9月末までに総額863万円の寄附をいただいている。今年度からは、寄附者の銘板を施設内に掲示するなどの特典を新たに設けて、地元関係者への個別協力依頼や、東京事務所を通じた県外関係者への制度PRを積極的に行っている。
 今後とも、県内外からの一層の寄附獲得を図っていくとともに、ハード・ソフト事業において地方創生交付金等の有利な財源を可能な限り活用するなど、効率的な事業執行に努めていく。

○(竹内英明委員)  この企画は当初から議会の中では質問で取り上げられ、神戸県民センター長がいろいろぶち上げられ、経緯も聞いているが、県政150周年に合わせてという話もあった。しかし、コロナで県政150周年のお祝いムードは、はっきり言ってない。
 そういった意味では、せっかく造るので、利用の仕方をどうしていくかは非常に重要になっている。まず、施設の魅力、初代県庁館は、行かれて、皆さんはびっくりするのではないか。もともとの勤番所の在り方を見ると、予想と違うと思う。これは行ってから判断することであるが、いずれしても大人が2回、3回、それを見に行こうと思うかと言えば、これは厳しい。
 そういった意味では、学習の場として、子供たちに活用してもらうことが重要である。年間の利用者数、今の段階でどれぐらいの数を見込んでいるのか。また、学校の研修など、バスを使った集客対象とするには、昨今、バス代の予算が減っているという話もある。遠足に行けないとか、学校教育機関との連携についてもどう考えているのか、併せてお答えいただきたい。

○兵庫津ミュージアム整備室長(岸本健吾)  当施設の利用者数は、類似施設の実績を踏まえ、年間30万人、うち有料入館者数は5.4万人を見込んでいる。兵庫大仏などの点在する歴史資源を連環させて、地域全体での集客を図っていく。
 ボランティアによるまち歩きツアーを実施するとともに、周辺施設と連携したイベントの定期的な開催や、メディアを活用したPR等により、施設及びその周辺の魅力を一体的に高め、集客につなげていく。
 ご指摘の学校との連携は、より多くの利用者を呼び込むために必要である。そのため、児童生徒が地域の歴史や文化に興味を抱くきっかけとなるよう、紙芝居やクイズ形式などで学べる学習プログラムを開発している。また、現在と初代の県庁とを比較して、建物や仕事の違いなどを考える新たな学び方も可能になる。
 併せて、バス補助のあるわくわくオーケストラとのセットでのコース設定や、県民交流バスを活用した子ども会行事での来館など、様々な形で教育機関等の利用を促していく。
 今後もこうした取組を進めることにより、次代を担う子供たちから伝え手としてのシニア世代や親世代を広く取り込み、多くの方から愛される施設として育てていく。

○(竹内英明委員)  今、課長が答弁した、有料で使ってくれる方が5.4万人という話、これからそれを超えて使っていただくことを望むし、もしそれを下回れば、課長が代わっても、引き続きあのとき約束したなと追及をさせていただく。