衆院選についての様々な声を聞く。直接聞くこともあるし、ネットやSNSで届く声もある。

完璧な選挙制度設計が難しいことはよくわかるが、『やっぱり惜敗率50%台の方が、「惜敗」ではないのに、復活当選することはちょっと納得感が少ないですね』との知人の声も(この知人も時に私に意見して下さるほか、キングダムに造詣があることもわかった。真面目でマメ、仕事が堅いイメージがあるので「壁将軍」と勝手に名付けよう)。


その選挙区の状況は私も知っているが惜敗率以外にも過去の選挙歴をみてもちょっと考えられないような話だ。


いずれにしろ衆議院選挙は比例代表並立制を採用しているため比例代表の方で有権者の意志と違う結果を招いてしまう制度的な課題がある。例えば、李牧丞相が驚いていた徳島1区の比例復活の状況。



惜敗率20%は小選挙区の当選者の5分の1の得票ということになる。流石に衆議院議員になるのに気が引けるような惜敗率だ。


公職選挙法では一定の得票を取らなければ当選が無効となったり、供託金が没収となる法定得票率を設けているがどうだろうか。下記リンクから確認すると



なんと惜敗率最低の比例復活候補の得票率は10.1%で無効ラインの10%をぎりぎり超えていた(今回は比例代表東海ブロックで令和の候補者で当選が無効になった人がいる(毎日新聞HP) 


この方は今年の9月末に兵庫県の丹波篠山市議を辞職して四国の徳島1区から出馬された方らしい。これまた凄い。



選挙制度にはその特性から何かしらの課題があるがいまのところ現在の形で落ち着いている。改正などは検討されていないようだ。


そうそう、選挙結果といえば、立憲民主党の枝野代表が衆院選での議席減の責任をとって辞意を表明した。4年前の民進党解党、希望の党結党にかかる小池都知事の『排除の論理』の対象となったことへの憤りなどが立憲民主党という新党結成を推し進めた大きな要素だろうから、枝野代表は結党の中心であり、自らがオーナーという自覚すらあったと思う。


選挙の大凡の結果が判明したのは31日の23時頃。NHKの出口調査の結果が与党に厳しく出ていたということもあり、立憲民主党の議席減は意外なことであり、その時まで辞めるという選択肢は全くなかったはずだ。


政党の党首は衆院選の最中でも例外的に他の候補と同列ではなくメディアで露出が続けられる恵まれた存在だ。今回も党首密着などの好意的な取り上げ方を含めて相当な宣伝機会を得ていた。それにも関わらず、小選挙区で得票を落とし、他の選挙区の心配どころではなくなっていた(選挙結果(朝日新聞))。


その理由は自ら主導した野党路線にあることは他の党幹部の得票状況からも推測されたのではないか。コロナ禍でも強い対決型の野党路線を変えずに対応してきたことの評価である。


加えて、共産党との候補者調整によって得られた票と失った票。失った票が維新に流れたことも選挙結果をみればわかるのではないか。自民党の甘利幹事長が辞意を表明したこともあり、引き続き留任することは野党第一党としても厳しいとの判断も働いたのだろう。結党の経緯がある中であとから左に寄りすぎたと言われても、どうしようもなかったとは思うが。


枝野代表は1993年の衆院選で当時の日本新党から初当選。選挙の結果、誕生した非自民非共産の細川政権は、小沢一郎新生党代表幹事と新党さきがけ代表の武村正義官房長官の路線対立が表面化。政権の国会運営を支える衆議院議院運営委員長が奥田敬和先生だった。奥田事務所に入ったとはいえ、政界の動きは新聞で知るような秘書の秘書のような立場だったが、その頃のことはよく覚えている。


細川総理が小沢路線に舵を切る中で、日本新党で当選した枝野さんだったが、体育会系の小沢的なものを嫌って新党さきがけに移った。当選1回の若手だったが物怖じせず口を尖らせて反小沢を発言している姿はいまとあまり変わらない(さきがけはその後、自民党・社会党・新党さきがけの連立政権で村山内閣をつくった。これが本当の55年体制の崩壊、社会党は天下をとったがこれが徒花だった)。


日本新党といえば、茂木敏充前外務大臣が自民党の幹事長に就任したという話もしなければならない。この方については色んな評判がある。頭が良いとか。かつての参議院のドン青木元参院議員と仲が悪いとかも新聞に出ている。


私の感覚だと枝野さんと同じ1993年の総選挙で日本新党公認で初当選をされた人だ。野田元総理や前原さんらも同じ選挙で日本新党で当選した同期だ。


日本新党が衆院選を戦ったのは1回だけ。下記のリンクで当時当選した議員の一覧がある。


その後、日本新党は羽田内閣の不信任案可決により新進党結党のため解党されるが、茂木さんは袂を分かって自民党へ。その頃といえば、小沢一郎さんらと自民党を離党した二階元幹事長も新進党結党に参画した。石破元幹事長も新進党に入った。そう考えれば自民党一筋ではない人が3人も幹事長になっている。背景に選挙に勝つ者が正しい者という考えがある(細野さんも自民党入党が認められたらしい)。そういう意味では選挙至上主義かつ実力主義と言えるかもしれない。


今回の衆院選でも東京15区で自民党は2人を推薦していた。小選挙区制で2人を推薦するのは通常あり得ない。小選挙区制のイギリスやアメリカでは公認候補を決めるために党員による予備選挙を行うが、日本ではこの制度がない。15区では結果的に本戦で勝った方を追加公認したが、小選挙区で票が割れても野党候補に勝ったので結果オーライということだろう。「もう時間がない。二人が戦って票を伸ばすだろう、野党に負ければその時だ」。これが自民党の強みではないか。


話は散漫となり恐縮だが、日本新党時代の人間関係もある国会議員秘書の友人から連絡がこの間あった。議員会館は落選議員の部屋の片付け期限が短く、また新人議員の公設秘書採用もあり、混乱していたと聞いた。勢力図はそこまで大きく変わっていないが、議員だけでなく秘書の雇用も失われるので一定の混乱がある。全て国民の選択の結果。それ意外の話はない。


この間、喉に違和感があったので思い立って耳鼻咽喉科の診察を受けてみる。症状を説明すると鼻からファイバースコープ。細い。全く痛くない。撮影された画像を映し出しながら詳しく説明を受ける。先生曰く「画像が全てを物語る。問題なし」と。画像もあなたにあげようと。なんと(笑)。これで一安心。


豊富町は仁豊野橋東詰のキッチンハウスクスクスでクリームコロッケ定食。