事務所を基点に諸活動。以前から一度寄ってくれと言われていた企業を訪問。S社長から会社経営方針などのほか、昨今の世情、行政の課題などについての話を伺う。課題認識を持たれている具体事例の話に共感の連続。富の再配分についての話も方法論こそ違うが労使協調の理念は同じだ。勉強になる時間だった。
その後、Hモントレ姫路で開催の播磨政経懇話会。杉本和行前公正取引委員会委員長による「デジタル経済への視座−新時代への競争政策-」と題する講演。
公正取引委員会は何をするところなのか。フェアプレイが基本ということについて、まず近年のわかり易い事例をあげて説明されました。
①アイドルグループSMAPの事務所移籍問題でジャニーズ事務所を注意。
時代の流れで働き方が変化し、自由な働き方、フリーランスの仕事が増えている。労働者と雇い主の関係を労働法に任せていたがそれで済むのかという問題意識があった。独占禁止法で対応できないかと考えた。フリーランス的な働き方、ウーバーなども出てきた。芸能界やスポーツ界は先行している。テレビに自由に出たりすること、公正な働き方を阻害されていないか、独禁法の適用を積極姿勢に転換した。
調査に入り、その結果、違法だという行為は見つけられなかったが、恐れというものはあったのでジャニーズ事務所を注意した。NHKで注意したということがテロップで流れた。公取の仕事でテロップは初めて。反響も電話などでガンガンあった。大半は良かったというものだった。3名の元メンバーもいまテレビに出ている。表情も明るい。
一方、「嵐の事務所になんてことをするんだ」という声もあった。嵐の人気は凄いと感じた。あなたは姫路の出身なんだから、能年玲奈ちゃん、今のんちゃんにもちゃんとやれ、この反応も多かった。
②スポーツ界に対しては、ラグビー界で、移籍すると移籍前のチームに配慮して、一定期間は所属前のチームの了解がないと試合に出れないというものがあった。自主的に変更してもらった。プロ野球でもメジャーとの関係で試合に出れないとの不文律もあったがやめてもらった。
③コンビニにおけるフランチャイザー(本部)とフランチャイジー(加盟店)の関係もあった。廃棄される商品について、ジーだけが負担することも問題があるのではないかと。
④携帯電話問題もあった。大手キャリアとMVNOと呼ばれる回線を借り受けて営業している事業体との関係、新規契約や○年間縛りなどの問題。この問題では菅前総理が官房長官時代から取り組んでおられ、同じ問題意識だった。
⑤長崎県での地銀合併問題など
でも問題意識をもった。
こうしたことについては随分改められてきたのではないかと思う。
ということで今日の本題へ。
現在の世界経済のDX(デジタルトランスフォーメーション)の流れなどをみていると『情報本位制』といっても過言ではないと思っている。ビッグデータなど情報を基盤にイノベーションが行われている。競争環境の整備が必要だ。日本は遅れており、このままではこの分野で下請けになってしまうのではないかと心配している。
以降は、GAFAなどのデジタルプラットフォーマー規制の国際的な動きなどについての解説など。ここは近年よく耳にする話なので割愛。
最後に会場の出席者から時宜を得た質問がある。
Q.(杉本さんの後輩にあたる)現在の財務次官が『文藝春秋』に寄稿した内容(各党のコロナ経済対策をバラマキ合戦のようだと批判)についてのお考えは?
A.これまで政治主導や役所批判が言われてきたが、役所側が指示待ちになることを懸念してきた。役所や役人はこの国を良くしていく為に真剣に考えており、(政策を)提言していく能力を持っておかなければならない。決定は政治だが。言われたことだけするでは駄目だ。個人的にはそう考えている。
彼の入省は10くらい下になるのかな。積極的に役所の立場で世の中を悪くしない為に意見していくのは個人的には評価できる。
ただ、今の政治主導の流れに棹さすというのではなく、問題を考えてもらい、政治に決断してもらう(材料と)、そう判断させてもらう。
その後、この間頂いている陳情の現場へ。
その後、政治の現場へ。大阪は以前からだが兵庫の現場でもおかしなことが起ころうとしている。選挙の情勢分析からその結論になる可能性が高いと。
評価の高いたった一人の存在により明らかに資質に欠けるものまで引き上げられてしまうという話。比例復活制度に起因する話でもある。
一人の能力に加えてその主張にはかなり危険なことを含んでいる。
「怨望の人間に害あるを論ず」(福澤諭吉『学問のすゝめ』第13章)。近年よく用いる論点だ。
「凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし」。その章の冒頭の言葉。
政治家を怨望の対象となるよう大声を張り上げる姿、それを無批判に大きく報じるメディア。このことを知っていてやっているのかは知らない。
福澤諭吉が現代にいれば、政治家自らが怨望を撒き散らす言動をしている姿に驚くだろう。
福澤諭吉は民衆に『学問のすゝめ』を説いた。明治の初めの話だ。学制が発布されいまや全員に遍く教育が行き届いている。怨望は表面的な学問ではなくなっていないことを知るのか。人間のそもそももっている感情は学問ではなくならないと嘆くのか。
ある新聞は資質については暗に書いていたが直截的ではない。限界がある。おなじ立場の政治家も批判にはより以上に限界がある。
他の政治家の批判や怨望について語るのは自らの待遇肯定にも映る。
しかし、政治家自らが怨望を撒き散らす行為は本来タブーだろう。それがわかる人はその立場に与しない。本当に恐ろしい話だ。
この流れが兵庫に来る。怨望が拡がってしまう背景に何があるか。福澤は学問によってそれを止めようとした。止まらないのには理由がある。それは私も書けない。