衆院選最終日。今日も様々な連絡がある。中盤から最終盤にかけては結果に大きな影響を与える出来事はなかった。期日前投票の投票率から今回も投票率が大きく上昇するなどといったことも予想されない。こうしたことを踏まえるとこれまでの記載を変更する必要はないと思う。


これまで書いていないことであとから論評するのは嫌なので書いておくと、白票が増える選挙区がいくつも出るだろう。選挙には欠かさず行っているが、小選挙区には意中の候補がないという人が増えるということ。与党候補が公明党の場合に白票が多いということは既に知られているが、野党統一候補にも同じような状況が生まれるということだ。


これは私が複数の人から今回は白票を入れると聞いた、生の声から気づいたこと。従前から白票というのは投票権の一つの行使のあり方だと評価している。投票に行かない、つまり棄権とは全く別のもの。意中の候補がいないことは残念だが信念の行使は評価されなければならない。


白票を考えずにベターな選択で投票する人も多いこと、この方々の投票行動については先日書いた。兵庫11区のように与党は嫌だが共産党も嫌だという方の投票行動だというとわかり易い。これが選挙結果に大きな影響を与えるということだ。


これまで書いていなかった話を一つ。Yahoo!でたまに取り上げられている渡邊大門さんの【戦国こぼれ話】から。「関ヶ原合戦前夜、小早川秀秋が伏見城攻めを行った何とも情けない理由」という話の中に姫路城が取り上げられていたのだが、初めての話で驚いた。


『寛政重修諸家譜』(稲葉正成家譜)に「小早川秀秋は兄・木下延俊の居城・姫路城を譲り受けようとし、家康の許可を受けたが、それは延俊により拒否された」という話が出ている。

姫路城は関ヶ原の戦い前に木下家定(豊臣秀吉妻おねの実兄、羽柴・豊臣姓も)・延俊親子が交代で城代を務めていたことから十分に有りえた話だろう。とはいえ、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は秀秋には姫路を与えず、池田輝政に治めさせた。秀秋は八丈島に流された宇喜多秀家のあとを受けて岡山城主となったがすぐに亡くなり、子がなかったことから小早川家は無嗣断絶となった。それから400年以上経った後世でも裏切り者といって名前が挙がるのは小早川秀秋。ほかにも裏切った大名はいるが一番初めに裏切ると有名になる。それが嫌なら一人ではなく複数で裏切るというのも手かも知れない。


昼食をつくろうと台所にいくと、杓文字(しゃもじ)が立っている(笑)。なんだこのアイデア商品は。素晴らしい!

焼きそば。塩味にしてねぎを多めにかける。コスパよし。