一昨日の企業庁の決算質問の詳しい反響など。
『あまりに我田引水すぎる独自解釈。時価算定が困難な販売用土地、事業資産などあり得ない』
『20年以上の態度未決定が問題の全て。結局、企業庁は被害者意識の塊、一般会計頼みなのでしょう』
『自治研修所での職員の議論、実際にやったように聞こえましたが、想定、シミュレーションだったんですね。本当にやれば良かったのに』
また、過去に私の質問に関わってきた中堅幹部から前回の財政状況の質疑もあわせて「(竹内)議員はこれまで趣味で質問してると思っていたが、ようやく何が言いたいのかわかってきた」という話も先日聞いた(苦笑)。
ならば今回の決算特別委員会の私の最後の質問を終えたので、質問の最後には少し触れているが私の見立てを改めて記しておこう。
「県債管理基金(減債基金)や企業庁の貸借対照表のように、お金はないのにあるように見せることで、財政指標を良くみせて、起債(借金/総務省管理)も容易にして、事業の予算をたくさん確保したい」というもの。全てのベースはこれだ。
これには、やりたいことが沢山あるという先代の思いが根本にあった。やりたいことが沢山ある、政治家はそう考えるのが普通だ。これは悪い話ではない。
とはいえ、お金はない。借金せざるを得ないが、財政状況が悪いので、減債基金の積立不足や実質公債費比率の状況によっては起債が難しくなる。
そこで、色んな方法を考える。少し大きな航空機を買いたいが、20億円もする。単年度で一般会計で措置すれば他の県単独事業を大きく削らなければならない。そうすると但馬以外の地方から猛反発が来る。県債で買うと民間リースに回せないから収支が悪化する。他に方法がないので、いずれ減債のためになくなる県債管理基金で買って分割払いをしてあとから埋めよう。これは県土整備部の審査の時に一例として取り上げた。
法令の話もした。地方財政健全化法施行規則・公拡法・地方住宅供給公社法・地方公営企業法施行令には明確に違反する話も指摘したが、「法令順守の逸脱くらいは大したことではない。指摘されればその時考えればよい」という話で進めてきた。
法令までは踏み込みすぎた話。流石に禁じ手だ。指摘されてしまったのだからやめなければならなかったはずだが、そうしない。軽量級の私の指摘では歯止めにならないようだ。
この結論にいたる背景には「過去の企業庁や他の土地の先行取得は自分がやったものではない」「阪神淡路大震災がなければこんな財政状況にはなっていない」「フロー指標であるはずの実質公債費比率なのに、基金不足をペナルティとして捕捉した総務省のおかげで財政状況が悪いことが露見してしまった(こんな指標自体がよくない)」「借金を返すには地方債償還年限の30年は短か過ぎる。国債と同じように60年にして、その次の世代にも負担をしてもらおう」という考えが心の奥底にあるのだろう。
こうした気持ちの一部には理解できるものもある。先々代や大震災の話だ。しかし、いつまでそれを理由にして、次の次の世代まで先送りするつもりなのか。そして自分もいつかいなくなる。こうした先送りの責任は誰も問われない。低金利が先送りの追い風、神風となった。しかし、これは偶然に過ぎない。地方自治体が金利を決めることはできないから。
いま、兵庫県は新しい時代を迎えた。県民の選択により『刷新』『オープン』を掲げた新知事が当選したのである。
選挙の結果をみた直後、この問題に関わってきた職員の中には適正化を覚悟した職員が多いだろう(私は今年の3月にこれを引き継ぐであろう財政関係者に通告していた)。
今回、私は知事選挙を受けてこの問題を最後にするために、決算委員会ではパネルや法令の条文まで資料で示し、法令に基づけば、是正せざるを得ない構図を明らかにしたつもりだ。逃げ道はないはずだった。
総務大臣が都道府県の起債に関与するように、県知事は県内市町の起債についての権限を有している。私の質問をみた市の幹部からの反応は、県の財政が悪いのは知っていたが、今のご時世にこんなことまでやっているのかというものだった。県の権威や威厳が崩れるほどのものだろう。
そこまで言ったが、質問の成果は芳しくなかった。しかも、選挙から2ヶ月たち今回の答弁では改革の意志が後退してきていることが透けて見えた。ある職員は質問の事前準備のやりとりの中で、公約に100億円の財政基金を掲げているのを見て、無理なことを知らないんだと思ったと本音を言ってくれた。
県債管理基金のお金を財政基金に移し替えればすぐにでも実現できるが、現財政フレームでは最高17.9%である実質公債費比率が18%を超えてしまう。これをすると県の最大の目的が水泡に帰す。先代でも何ともならなかった要調整額330億円があるのに無理だということがわからないって何?みたいな話だったようだ。こんな方法について詳しくない方が当たり前だが、手を染めてきた人からすれば知られてないと見えたのだろう。
こうした話と昨今の状況もあわせて、もしかして適正化の指示そのものがないかもしれないと職員は思い始めている。
改革が必要と思っていても、法令順守も自分のときに敢えてしんどいことをする必要があるのかと職員が考えてしまえば先送りが最も容易い。幹部は自らの県庁人生の年限すら計算する。そんな県庁内部の空気感を私も知らないわけではない。
中には、新知事も超法規派・先送り派の同志に入れてしまえばいいと考える人もいるだろう。恐ろしい話だ。
いずれにしても、残念だが、特別職を含めても職員だけでは適正化は難しいことだけははっきりした。これはやはり政治家が元に戻さないとできない問題なのだろう。
とはいえ、困るのは先送りされる世代。いま票を持っていない次世代。次世代に憑依されているわけでもないが、今さえよければいい、が大嫌い。皆がその方向なので余計頑張りたい気持ちだ。
新知事は『刷新』を県民に約束したんだから。『オープン』を施政の第一だと説明したんだから。やってくれると信じるほかない。
私の本会議質問は来年2月らしい。それをこの問題の最後の質問にしたい。
[備忘録]