正午前に驚きのニュース速報。菅総理大臣が9月の自民党総裁選に出馬しないという。一瞬どういうことだと見直した。

内閣総理大臣は現在、与党自民党の総裁が就任することになっているため、総裁が代わると内閣総理大臣も交代することになる。つまり、実質的な辞意表明だ。

辞める理由を1時間後くらいの総理官邸のぶら下がりで菅総理自身が一方的に語っていた。

「私自身、新型コロナ対策に専念したい、その思いの中で自民党総裁選挙には出馬しない」「コロナ対策と選挙活動の両立はできない」といった内容だ。記者の質問には答えず去っていった。

これを真実と捉える人は誰もいまい。昨日までの発言と全く異なる内容だからだ。

既に自民党総裁であり、内閣総理大臣として約1年間仕事をしてきた。現職であるのだから本来は選挙活動なんかせずとも盤石で勝利するはずだ。コロナ対策を一生懸命やってきた、よくやっていると評価されていれば、再選に何の問題もないということ。しかも、評価するのは、一般の国民ではなく、自民党の国会議員、党員党友だけだ。

つまり、このままでは、総裁選に出ても、自民党の国会議員、党員党友だけの選挙でも岸田候補に負けると昨日の夜から今朝にかけて判断したのだろう。総理在職中の退陣では政治生命は終わると判断して決断したのかもしれない。

しかし、急過ぎる。この数日混乱していたのは明らかだが、本当に冷静に判断できたのか。8月以降は一杯一杯だと見られていたのは当日記でも記したが、追い込まれて判断したのか。何か突発事項があったのか。それはわからない。いずれにしろ唐突感しかない。

野党が「投げ出し」と批判しているが、緊急事態宣言中のコロナ対策の最高責任者の立場を自ら今月で辞めると宣言したのだがら、この批判は正しいだろう。来週以降開くという記者会見ではこのあたりの理由を少し修正してくるだろう。発言が矛盾していることが明らかだから。

総選挙に臨む予定候補者のこの実質的な退陣表明への受け止めは悲喜交々だろう。

これから自民党総裁選はメディアで大きく長期間取り上げられることになる。昨日までと違って本当に総理を決める総裁選になるから。

しかも、総裁選の投票権がない人もテレビをみていると最後には投票した気分になるというのは有名な話。昨今党員党友の選挙結果と一般住民の世論調査は大きく異ならないともいう。例えば石破代議士が党員から人気というが国民世論も同じ傾向だ。

野党は辞めていった菅総理や与党を無責任と攻撃するが、残念ながら辞めた人の更なる攻撃は日本では受けない。すぐにこの雰囲気は変わる。総選挙が行われる10月または11月と今とは空気も相手も全く違ったものになるということだ。

内閣発足直後の支持率はご祝儀相場というのも通例だ。新人ともなると故郷での良い話や家族の話なども報じられる。そのまま総選挙となると誰がなっても菅総理による総選挙とは違った結果になるだろう。

【最後に】
菅総理の評価はこれから様々な話があるだろうと思う。私も最初にこの話を聞いたとき、投げ出したと思ってがっかりした。ただ、辞める人に追い打ちをかけるようなことは苦手だ。逆に時間が立つに連れ、この人の置かれた状況などがキャパシティーを超えてずっと来ていたのだろうなとか、この年齢ではしんどいだろうなとか同情に変わってきた。

コロナ禍での安倍総理の突然の辞職を受けての残り任期の就任であったことは大変だっただろう。派閥の領袖でもなく、側近も事件等により削られ、官邸機能も安倍総理時代より見劣りする中で、代わりもなく、休みもなく、議員宿舎で寝泊まり。コロナでも独自の成果もほとんど見られない。

とはいえ、生まれ育った場所ではないところで私設秘書から地方市議を経験して内閣総理大臣まで駆け上がった本当の叩き上げだったことは凄い。これは間違いなく初めてのこと。今一つは(いまこれを打ちながらパラリンピックを見ているが、解説者の人やゲストが皆、水泳のエース木村選手の金メダルに感動して泣いている。これだけの感動を生むイベント、凄すぎる)、東京オリンピック・パラリンピックを多くの批判があっても開催したこと。これは一定の評価をすべきではないかと思う。


後刻、元共同通信の後藤謙次さんがテレビ朝日の報道ステーションに出て決断の理由をパネルで示していた。ここのところの動きを見ているとなんかわかる気がする。

日本の総理大臣の日程はアメリカ大統領と比べても国会の出席状況などをみても激務だ。卑近な例でしかも2度目の話で恐縮だが、私の母と菅総理は同じ年の生まれ(亡き父より1つ下)。激務を減らしたり、変えたりするのは実は簡単ではない。もう少し若い人でないと務まらないかもしれない。