神戸の県庁。控室で神崎郡選出のU幹事長と意見交換。新知事就任後の会派対応や情報交換、神崎郡の神河町長選挙の状況などについて。当該選挙については昨日、旧知のY町長ご本人とも直接話をした。
その後、7月31日で任期満了となるI知事の最終登庁日ということで、会派控室に挨拶に来られる。
これまでの5期20年を振り返る御礼のご挨拶があった。
最後に「旧自治省入省の昭和43(1968)年から考えると、50 年以上働きづめでした。これからどういう生活をしたらいいかと考えています。時間がたくさんあります。これからは、いつでも、何でもお声掛けいただいたら参加させてもらいます(笑)。
明日で任期を終えることになります。これまでの与党会派としてのご支援に感謝するとともに、県政は1日たりとも歩みを止めるわけにはいきません。後事を託すことになりますが、新しい知事のもと、二元代表制のもとでのご活躍を祈念します。」
先月の議会最終日に全議員で写真を撮りましたが、もう一度出席議員で記念写真。
昨年12月議会の代表質問で井戸知事の議会への姿勢等については私なりの考えを述べましたので多くは割愛しますが、個人的な話をすると、私の議会デビューは当選1回の1年目に財政難の対応としての県の基金集約に美術品が含まれていることを指摘したことだったと思います。これはかなり大きく報道もされました。以降も県財政や行革についての私の質問は厳しい内容ばかりだったと思います。
正直、私としては嫌われても仕方ないと思って覚悟して質問しました。ある幹部職員の方からは委員会の懇親会のときに少し酔っていたんでしょうか、生意気だと直接言われたことを思い出します(苦笑)。本音でしょうね。
ところが知事は違いました。外で私とばったり出会ったときに、「先日の大雨でとぼり(砥堀、本当はとほり)大丈夫でしたか?」と。市川の水害対策は知事が直接指示されたと職員の方から聞きたこともあります。
当選1回で財政問題を厳しく指摘したくらいで、横を向いたり、生意気だなんて思うレベルの方ではない、嫌われてはいないかもと思うようになりました。
嫌われてないかもしれないということを頼んで、ここぞと言った個別の案件では直訴もさせて頂きました。メガ太陽光発電問題など。トップダウンとはこういうものかと驚愕、足を向けて寝られないと感じたこともありました。
また、様々な分野に精通されているだけでなく、県下あらゆる地域のことが頭に入っていることについても驚きました。どんな頭をしているんだろうと。江田五月先生の訃報の際にも触れましたが私の政治家をみる物差しの一つにどれだけ自分より優秀かというものがあります。
とはいえ、井戸知事は部下であればお仕えしにくいタイプの上司だったと思います。私は議員で良かったです(笑)。
8月10日が誕生日ということで、もうすぐ76歳になられますが、この感じだと知事の職を離れられても意気軒昂でしょうね。今後も齋藤新知事の施策運営をみていく中で、時に当日記の中でも井戸県政と比較してみたいとも考えています。
まずは大変おつかれさまでした。そしてありがとうございました。
その後、県庁職員の皆さんによる退任イベントが県庁前広場で行われました。
退任イベント後も、コロナ対策本部会議を開催し、記者会見もされていました。最後までこき使うな〜と冗談を言っておられましたね。
その後、姫路へ戻る。事務所。国による兵庫県のまん延防止重点措置指定を受けての県コロナ対策本部会議の決定事項を関係先にお知らせ。国の方針が予想以上に厳しい内容、私が見通しを誤ったことについてお詫び。実質的には緊急事態宣言に舞い戻っている。後刻、県幹部からも釈明があったが、このように目まぐるしく方針が変わると現場は混乱する。SNSなどでも厳しいおしかりの声を頂戴しているが当然だろう。