国会議員を長きに渡って務められ、三権の長である参議院議長、科学技術長官、法務大臣、環境庁長官といった国務大臣も歴任された江田五月先生が亡くなったとの連絡がありました。


えっ、嘘でしょ、というのが正直な感想です。少し前にネットで先生が国会議員の訪問を受けたといった姿を拝見し、少し痩せておられるといった感じはありましたが、ご病気という感じではありませんでした。

江田先生と初めてお話ししたのは私が21歳の時、今から26年前です。


先生は岡山県選出の衆議院議員で、お父様の立ち上げられた社民連を経て、細川連立政権に参画、科学技術庁長官として入閣されました。その時、私は学生しかもまだ19歳でしたが奥田敬和先生の事務所におり、先生をお見掛けはしていましたが、もちろん話したことはありませんでした。

ところが、その後、政権再交代があり、新進党が結成されました。私は学生のままでしたが党本部での学生部活動や選挙の際には本部で働いていたことから他の国会議員との交流もでき、江田先生と初めてお話しました。

この写真は私が21歳当時の勉強会のあとの懇親会の時に撮影したものです(先生も私も少しお酒が入っていますね)。

その後、先生は落選の憂き目にもあわれましたが、私が民主党職員として永田町に戻った23歳、1998年の夏の参議院選挙で再び当選されました。そのとき、私も人事異動で参議院の国会対策委員会勤務となり、先生と近いところで仕事をすることになりました。


その後、先生が会派のトップである議員会長に就任されたときには私は担当として直接お仕えする立場となりました。

お仕えして感じたのは、まず、人柄の良さ、下のものにも横柄な態度をとらないということ。それは誰でも接すればわかります。秘書の方にもそんなふうに接しておられました。事務所の雰囲気もよく、秘書の方は私が姫路市議選に出ると聞き、姫路にも駆けつけてくださいました(そうそう岡山が発祥の地の木下大サーカスのチケットも頂きました)。

そして、私が最も感じたことは、どんな頭をされているんだろうということです。先生が東大法学部を首席で卒業されたことは永田町でも知られていましたが、司法試験での成績やその後の裁判官としての経歴なども知り、噂に違わぬ頭の良さに驚きました。

国会では与野党に関係なくトップクラスの議員は毎日多くの出来事があり、多くの人に会います。先生はそうしたことをメモもせずとも翌日でも全て覚えておられました。私も一応クラスメイトに東大に入った人もいますし、大学時代に頭の良い人、ハーバードに留学していた先輩も見てきましたが、こんなに記憶力の良い人が世の中にいるんだ、私のそれまでの人生で直接会った人の中で、文系では一番頭の良い人だと感じました。毎日のブログもメモも見ずに自分の記憶だけで書いておられました。

 私が党職員を辞めて29歳で姫路市議に当選したとき、2003年には先生は私のことを下記リンクのブログに書いて下さいました。一介の元職員をそんなところで紹介してくださるとは。嬉しかったですね。




その後、先生は政権交代前後に参院議長に就任。議長として公平な議事運営に努められたことはやはりお人柄でしょう。


画像は全て上記リンクのNHKニュースから。

2016年の参院選に出馬せず、政界引退。最高勲位の一つである桐花大綬章を受章されました。

私が姫路で議員になってから先生の事務所の仕事を一つだけ引き受けさせて頂いたことが今思い返せばほんの僅かな恩返しです。

近年、当時お世話になった皆さんの訃報を聞くことが増えてきました。人の命に限りあることはわかっていますが、寂しいですね。

「井の中の蛙、大海を知らず
されど、天の高さを知る」

特に最後のフレーズは私の強みだと思っていますが、これは先生のような優秀な方と仕事をさせて頂いたお陰です。お仕えできたことに心から感謝したいと思います。

私利私欲なく、理想を追い求めておられ、尊敬できる、しかも頭の滅茶苦茶いい先生。まだ大所高所から後輩を指導できたのにと思うと本当に残念でなりません。

江田先生おつかれさまでした。そしてありがとうございました。