下記リンクの話を見て驚く。県知事選挙が終わったばかりだが、早くも神戸市長選挙に転身の意思表明って…。



公職への立候補は被選挙権として国民固有の権利として認められている。崇高なものだ。近年は成り手不足すら言われているほとで、選択肢が増えることは本来は悪いことではない。しかし、数日前まで知事になりたいと言っていた人が、今度は市長になりたいって…。

公職選挙法は、立候補についていくつかの制限を設けている。日本国民であることや年齢のほか、刑事事件で禁錮刑以上を受けていないことなどの要件もある。加えて、自治体議員の立候補(被選挙権)には、3ヶ月以上の居住要件もある(首長にはない)。近年この居住要件を満たさず立候補して当選してしまい(昔なら最低限の期間の生活すらせず当選はありえなかったが近年、党名やパフォーマンスだけで当選してしまう事例が増えているため)、無効の決定がなされる事例が増えている。

また、供託金制度も立候補制限の一つ。一定金額を法務局に供託しなければ立候補届は受理されないこととなっている。

総務省選挙部の公式HP によると供託金制度の目的は、「当選を争う意思のない人が売名などの理由で無責任に立候補することを防ぐための制度です。ですから、その候補者や政党等の得票数が規定の数に達しなかった場合や、候補者が立候補を辞退した場合には、供託された現金や国債証書は全額没収され、国や都道府県、市区町村に納められます」と記されている。

逆に言えば、当選を争う意思はともかく、売名行為で無責任な立候補であっても、供託金さえ負担すれば誰でも立候補することができるということである。

供託金の額は兵庫県知事選挙で300万円(上記総務省HPリンクに他の金額も記載)。一見高いが、450万人もの有権者に対して選挙管理委員会が発行する選挙公報により顔写真やプロフィール、政策などの宣伝が原稿を提出するだけで無償で行える。また、新聞やテレビでもかなり取り上げられる。その宣伝効果は供託金とは比べ物にならないだろう。

立候補者が増えることにより選挙管理委員会が負担する事務コストは、没収される供託金で賄えるものでは全くないが、こうしたコストは『民主主義のコスト』とも言われ、本来は単なる費用対効果ではかるべきものではないだろう。そもそも供託金制度そのものを廃止すべきという人もいるほどだ。海外ではこうした制度がない国も多い。

ということで、何か結論が得られる問題ではないのだが、その転身の早さに…。

夜、東京オリンピックの開会式のテレビ中継を見る。間近になっても開会式に関係しているスタッフの辞任や解任などがあり、組織委員会のガバナンスはもちろん、この国の政治、国力すら心配するほど。開会式の途中で会場の電気が消えないか、音声が止まらないかとかあらぬ心配までしながら見た。

開会式の中継前のNHKスタジオ。和久田アナウンサー。男性は豊原アナなんだ、ふむふむ。MISIAの君が代独唱。ランニングマシンの意味。東京都の火消し文化の他イベントとの接続。1,800台ものドローンによる地球演出。選手入場時のドラクエなどの日本のゲーム音楽。カザフスタンの女性旗手の衣装。各国選手が手に持つスマホのカラフルなこと。50競技のピクトグラム再現パフォーマンス(バドミントンでひやり)。劇団ひとり(笑)。天皇陛下のお言葉中継開始時の総理や都知事の慌てた様子。バッハ会長のかなり長い挨拶。23:30までの予定を大きく超過しているさま。聖火入場時のON・松井読売巨人軍トリオ。子どもの夜登場について問題視する人がいるだろうなという想像(私は否定しない)。時にネットでの視聴者の反応などとあわせて見たが、気のつく点は結構同じだった。

また、日本選手団の旗手の八村選手と須崎選手の50センチもの身長差は注目されたが、私が見た限り、旗手の中では、フィンランドの男性旗手がさらに高い感じがした。すぐに調べるとアリ=ペッカ・リウッコネンという水泳の選手で身長はなんと2メートル8センチと八村より5センチ高かった。 

昼間に祝日だが放送されていた読売テレビのミヤネ屋を見ていたので、選手入場が日本語でのあいうえお順で実施されること、アメリカのテレビ放映権のこと、聖火リレーの最終ランナーが誰になるのかという予想クイズもあり、いくつか事前予習ができていたが、開会式で最も驚いたのは、最終走者がテニスの大坂なおみ選手だったことだ。

ミヤネ屋に出演していた三輪弁護士が、女性であり、多様性を示すことなどから大坂選手を予想していたが、先のトラブルもあり、それはないだろうと思っていた。物凄く攻めるなという感想だ。

子どもたちは、知らない国を本で調べながら入場行進を見ていた。いくつか私のわかる国の話もした。私の人生では今回で国内開催はないとして、子どもたちは再びあるにしても、そうあることではない。直接見れないにしても何か記憶に留めるべきだ。


昼食はいつぞやつくったカレーの残り。追加していれたスパイスは日が経つと味がなくなっていくのかもしれない。