過日当日記で甥が夜に火傷になり、たつの市内の病院で診てもらったという話を書いた。何人かの読者の方から心配の声も頂いたので事後報告したい。
 
今日、妹や甥らが家に来たので症状や経緯などを詳しく確認。甥が鍋をこぼして腕に熱い汁が掛かったが、氷水で冷やし続けても赤く酷くなってきたので休日夜間急病センターに電話してみると、たつの市だがこの病院なら深夜でも診てくれるかもと教えてもらったという。電話して症状を話したら診ますと。
 
病院の名前を聞くと、なんと、いつぞや神戸新聞で見た、あの救急クリニックのことだった。新聞記事の内容をまさに有言実行されている。まさか私の親族がお世話になるとは。
 
楽しい先生だそうで何日か毎に甥も喜んでいっているという。症状も良くなってきているようで運動の許可も出たそうだ。
 
こうした対応は簡単に出来るものではない。こうした方がいて社会が成り立っていると改めて実感。ただただ感謝。
 
姪がもってきてくれたママごとの食事。ちっちゃ。
 
北海道選出の吉川元農林水産大臣が、収賄の容疑で在宅起訴されたという。推定無罪の原則から言えば、まだ有罪と決まった訳ではない。これからの公判次第だが、疑惑がもち上がってからの経過は流れるように穏やか。驚く。
 
大臣在任中の職務権限に関わる話である一方、金額の多寡や国会議員を辞職したことで責任をとったことが影響しているとされ逮捕はなかったとかの解説もある。また、事件の端緒とされるのが献金元の企業に関する河井元法相夫妻の捜査とされる。参院広島選挙区に2人目を擁立していなければ露見していなかったと言って間違いあるまい。
 
考えたら凄いことだが、農水大臣もした人にも関わらず、世間の関心はそんなに高くない。
 
 
17日の読売新聞の記事の最後段は事実なのだろうか。親しい知人の発言。この発言内容は極めて興味深い。
 
政治家、議員や首長は、歳費や報酬が高いとされている。一方で、まだ更に寄附やパーティー券の購入を政治家側は求めている。多額を集めるのはほぼ国会議員でその金額等は毎年公表され、新聞等でも報じられる。上位は派閥の領袖らだ。
 
政治家が献金を受けることや求めることをおかしいと思う人、そうでない人。大きく分かれる。この感覚の違い。大きなポイントだ。
 
「活動すればするほどお金や経費が必要になる」ことに理解を示す人は会社や団体の経営者や役員など実際に経費を使うような人に多い。
 
逆に、庶民感覚の一般の方からすれば、たくさんもらっているのに、献金やカンパを求めたりする政治家はおかしいとなる。一概には言えないが比率が高いことは明らか。私が後援会リーフレットにカンパ先の口座番号を入れていることに苦情のご意見を頂戴したことがある。
 
この考え方の差は埋めがたい。差が拡がれば誰に有利不利になるのか。
 
過去に何度も書いてきたが、企業献金は企業の出す側に立てば、出しても何の役にも立たないと無駄な出費となる。背任にもなりかねない。一方、職務権限があるなどして役に立ってしまったら汚職…。こんな曖昧でグレーなことはない。
 
そうした背景もあって企業などからの献金を廃止することが前提の政党助成金制度導入だったはずだが。もう25年にもなるが、もう話題にものぼらない。
 
大臣になるような国会議員がお金集めで苦労しているとの話を紙面でみるにつけ、きれいなお金集めは政治家の大きな能力の一つという話はアメリカだけでなく、民主主義国家としては間違っていないのではないのかもしれない。
 
政治家も大物になればなるほど派閥や系列の世話もしないといけなくなる。対役所でも然り。歳費や報酬では賄えない費用を誰から求めるか。
 
地方議員の場合、国会議員と違って政務活動費の按分財源も必要になっている。政務活動費を使えば事務所維持費をはじめ按分用が必要になり、献金がなければ私費を使う。一方で事務所を持たなければ按分などで私費を使う必要もない。どこかおかしいと思うのだが、解決策もない。
 
政治とカネの問題はなくならない…。