安倍さんに代わって総理大臣になる菅官房長官のことを「たたき上げ」と各種メディアが表現している。

一般的な「たたき上げ」という意味はどんなものか。ネットの広辞苑で調べると第一に「苦労を重ねて技量を磨き、自らを一人前の人物に仕上げる」とある。一人称の説明だがよく意味は通じる。

とはいえ、永田町では少し違う使われ方をしている。国会議員になる前の経歴や職歴だけで判断される。その前職が世襲の議員や会社経営者、労働組合幹部のエリートなどであればいくら苦労をして自ら磨き上げても、たたき上げとは言われない。官僚や公務員出身者などもそう。女性議員も聞いたことがない。ではどんな経歴なのか。

まず「地方議員」出身者がたたき上げと言われる資格をもっている。特にその在任期数が多ければ多いほど、たたき上げと言われる。これは国会議員になるために苦労したり準備した期間が長いと"想像"されるからだ。地方議員としての実績とかは関係がない。

現在の自民党の国対委員長の森山裕代議士は鹿児島市議を7期務めてから国会議員になっている。地方議員7期を経験しての国会議員といえばかなり珍しい。これだけ長いと完全なたたき上げだ。どこかの県議を1期だけ務めて国会議員になったくらいでは、たたき上げとは言われない。地方議員を長くやってから永田町に来るとそれだけでたたき上げと言われるということだ(5期20年くらいからか。あとは年齢要素大)

それでは、それ以外はどうだろうか。地方議員経験よりもすぐれてその肩書だけでたたき上げと言われる経歴がある。それは『秘書』出身者だ。特に地元秘書。これは男性に限られるが。

まずなぜ男性?なのか。秘書と言えば女性を想像する向きもあるだろうが、政治の世界の地元事務所で秘書の肩書をもっている女性は少ない。民間企業でいう秘書と政界の秘書は同じではない(議員会館に限れば女性も秘書。秘書を限る理由はその業務内容にある)。

菅さんは、昭和の中選挙区時代から故 小此木彦三郎代議士の地元秘書をながらくつとめ、その後、その系列議員として横浜市議を2期、小選挙区制が導入されて以降は、衆議院に転じた経歴をもつ。

つまり、地元秘書の経歴が長いので、それだけで「たたき上げ」で、それに加えて市議2期もあるので更に箔がついている。永田町では、地方議員上がりは一定の期数がないとたたき上げとは言われないが、地元秘書出身の経歴が一定あれば、たたき上げとみなされるのである。

現在の永田町でたたき上げの筆頭は鈴木宗男参議院議員(現、維新)だろう。北海道の中川一郎代議士の秘書出身ながら代議士の死後、後継者の息子 昭一さんと選挙で争ったという武勇伝を持つ。地方議員の経験はないが、その個性も相まって、たたき上げで最も名前が上がる筆頭だろう。自民党の二階幹事長も秘書出身でたたき上げ。名前を上げた人たち、皆さん強面だ(笑)。それも理由がある。

なぜ、秘書出身、特に地元秘書出身の国会議員をたたき上げというのか。地方議員よりもそう言われるのか。簡単に言うと、国会議員の汚れ役、グレーゾーンの仕事を少なからず担ってきたということが想像できるからだ。世襲の息子さんがもし親の秘書をしていてもそうした仕事を担うことはない。女性秘書がいたとしてもそうした案件に関わること自体が極めて限られる。汚れ役を担っている度合いが格段に高いと永田町の国会議員から見られているから地元秘書出身者はたたき上げと言われるのである。

汚れ役の第一は地元の選挙対策だ。選挙運動自体は2~3週間しかできないことととなっているがそれは建前。公職選挙法を完全に守ると選挙運動はできないのが現実だ。また与党議員の場合、選挙以外でも普段からグレーゾーンの仕事がないとはいえない。グレーとわかっても簡単に断れないのも事実だ。汚れ役は親父である国会議員を守る秘書の宿命だったから(今は秘書が内部告発する時代になっているが…)。

 

いま国会で4割近い世襲議員、次いで多い霞が関出身のエリート議員がこんなグレーゾーンに何度も関わったことがあるだろうか。ないだろう。秘書出身者が永田町でたたき上げと称されるのはこういった背景がある。だから永田町ではたたき上げの国会議員は他の国会議員から怖がられているのである。これは書いて良い事や悪い事があるので詳しく書かない。

ということでもう少し軽い、地方議員出身についての故 田中角栄元総理の見方を記しておこう。

田中角栄元総理、通称 角さんが「地方議員出身者は総理大臣になれない」と言った話は昔の永田町では有名だった。

私の早大の同級生で、いま官僚になっている学生時代の友人から角さんの秘書を務めた早坂茂三さんの本を勧められて結構読んだこともあるのでよく覚えている。

角さんの話の以前、実際それまで総理大臣に地方議員出身者はいなかったし、結果的には自分の寝首を掻いた、島根県議出身の竹下登さんの頭を抑えつけるための話だったのかもしれない。しかし、実は今でもこの話に類する話は残っている。

角さんが言いたかったことは何か。

私も地方議員だから敢えていうが、自らいずれ総理になるといったような人が、いくら地盤がなかったとしても「地方議員になります!」では『志が低い』と思われたのである。「高い志のない奴が総理にはなれるはずがない」と。

この角さんの見方は、自分の派閥の子分、竹下さんに打破され、滋賀県議を経験した宇野宗佑さん、千葉県議の野田佳彦さんにも破られている。

野田元総理は、松下政経塾出身で地盤もカバンもなかった非世襲議員だ。1993年初当選なので私が衆議院議員会館の奥田敬和代議士・議運委員長の事務所に入ったばかりの6月、宮澤内閣の不信任案が可決され解散された選挙で日本新党から初当選されている。

私は松下政経塾出身ではないが、学生時代に鵬志会に入って選挙を手伝い始めたほか、分裂するまでは自民党本部や学生組織にも出入りし、衆議院議員会館では私設秘書のバッジをつけて働いた。その後も学生ながら新進党本部で働くという一般的にはごく珍しい経験とさせてもらったので塾生や若くして国会議員を目指す多くの若い方が周りにいた。

今でもある国会議員を目指す政経塾生が言っていたことを覚えている。

「地盤がなくて地方議員から始めるにも国会議員を目指す人は、(市会や町会からではなく)県会から」。「国会議員として上を目指すなら、地方議員は2期してはならない」と。

野田元総理や前原誠司さんは県議や府議を経験されているが2期を全うされていない。初めから地方議員は腰掛けと割り切っていたのだ。

 

今はその意味がよくわかる。角さんと同じような考え方だ。有為の若手には同じことを伝えている。

また、国会で働いていた頃、『50歳を越えて国会議員になって苦労した人の会』という超党派の議員の会が出来たことを覚えている。確か「苦労人の会」という名前だった。

国会では、主要政党の場合、当選回数が少ない議員については、実力とは関係なく、全員に同じようなポストが割り振られていく。当然ながら20代の若手もいる中で、50代の人がいても、与えられるポストは20代と変わらない。飛び級はないのである。

ベテランの中には県議会議長の経験もあるから優遇しろと言う人もいるが、国会では地方議会経験は何期であろうが、それが何か?で終わりだ。全く考慮されない。地方議会の経験は国会では全く関係ないんだと国対に入ったそのとき知った。年齢が高いと本会議場の議席の位置が同じ期数だと年齢順で決まるので少し後ろに座れるだけだ。

逆に年寄りだと(一丁)あがり扱いを受け苦労すると。確か官房長官となった故 野中広務さんや総理まで務めた福田康夫さんとかが苦労人の会のメンバーだった。苦労してそれを乗りこえられた人はいるが実態は少数。若いほうが有利ということだ。

話が少し横にそれたが、「たたき上げ」議員の中でも、菅さんは地元秘書かつ市会議員出身というこれまでの総理大臣にはいない本当のたたき上げということだ。

今、総裁選の候補者や派閥の領袖は、菅さん、二階さんを除き、全員世襲の方ばかりだ。今の若い世襲議員は、昔に比べても学歴もよく海外留学などもしており毛並みがさらに良くなっている。最初から政治家の後継者になるために育てられているからだ。地元秘書上がりの叩き上げの人などとは生き方があまりに違う。そんな中で本当のたたき上げが総理大臣になろうとしている。

角さんは「今太閤」「ブルドーザー」とも言われたが、菅さんも同じようなものだ。温室育ちでグレーゾーンに手を染めたこともない人たちが、昭和の時代の修羅場を勝ち抜いてきた叩き上げに胆力で敵うはずはないだろう。菅さんの強みはそこだ。

とはいえ総理になってしまえば、自身は神輿や駕籠(かご)に乗ることになる。上から指示を飛ばしても担ぐ人が動かなければどうしようもない。

総理にとって大切なもの。「駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」これも角さんの言葉だが、残念ながら菅さんには件の派閥以外では担ぐ人がほとんどいないように映る。自ら派閥をつくらなかったこと、若手の担ぎ手と目されていた人たちがある意味たたき上げだったことでコンプライアンスの網にかかったことがその要因だ。その意味で「菅義偉に菅義偉なし」と言われないためには、真の担ぎ手が出てくるかどうかだろう。

いま、日本はコンプライアンスの時代、汚れ役経験が凄みになることも減っていくだろうし、その経験がある人も先細りしている。大統領制であればそうした人が一発逆転する可能性もあるが日本はそうではない。その意味では日本における最後のたたき上げ総理になるかもしれない。