昨晩、夜の行事を終えてから22時に姫路駅南のバスロータリーで待ち合わせ。

災害ボランティア「播州復興隊」の代表Nさんがこの間、ボランティアをSNSで何度か募集、実施されており、私も行きたいと思っていましたが、なかな日程が合いませんでした。今回は少しの調整で行けるということで参加させて頂きました。

姫路駅前出発前

少年野球チームとかが使う小型のマイクロバスですね。姫路キャッスルHの送迎バスもこれですがこれで高速道路を乗るのは初めて!

大型二種の免許を持つNさんが運転手、姫路で私を含む2人、神戸三ノ宮駅で4人、大阪茨木駅で大阪や京都の5人が合流し計12名(男女比7:5)で車中泊で途中休憩や給油を挟みながら長野に向かいます。

三ノ宮駅

茨木駅

全員が揃ったところでボランティアの趣旨説明や自己紹介がありました。

兵庫県のボランタリー基金を活用したボランティア支援制度の新設に感謝する声がたくさん出る一方、関西広域連合によるカウンターパート方式(兵庫県→長野県、京都府→福島県など相手自治体を決めて支援する方法)については異論が出て勉強になりました。

12月議会の私の代表質問でも成功事例として盛り込んだばかりでしたから。

行政が支援自治体、つまり相手を決め、市町も含めた職員の応援派遣の体制をとることはいいとしても、ボランティアやNPOの活動の場所まで行政が指定するのはおかしいというものでした。

ボランティアの現場には違う伝わり方がされているんですね。少し誤解があるので関西広域連合議員の経験がある私からも説明しておきました。

NPO等は得意分野や独自の横の繋がりを持っており、行政とは少し違うということです。意味がよく分かりました。


朝5時に長野県千曲市の姨捨(おばすて)SAに到着。姥捨(うばすて)は聞いたことがありますが、ならぬ姨捨(おばすて)。地名の由来が展示してあり驚きました…。

ここで時間調整をして7時に起床。明るくなってくると氾濫した千曲川が見えました。

いよいよです。

途中のローソンで気合いを入れて朝昼のご飯を買って長野市北部ボランティアセンターの津野サテライト(支部)に到着しました。



市の拠点施設ですが被災しています。

受付

説明


ボランティアに対する作業説明、諸注意です。事前登録手続きをしていたので、被災者から要請の業務が既に決まっていました。このサテライト近くの個人宅の「庭の泥上げ」作業でした。



写真はとりあい

服に貼ります。

道具を借りる

現場に向けて出発!

 現場は予想以上に大変な光景でした。規模の大きい一級河川 千曲川の堤防決壊によって濁流が集落に流れ込み、多くの家屋が流されていました。過日の秋祭りの日の朝にNHKテレビで見たあの光景の場所です…。

水流に耐えた家屋でも水かさは2メートルを越え、一階の窓やドアが流されてない家屋が殆どありませんでした。昨年夏にボランティアに行った岡山県倉敷市真備町と状況が似ていました。




氾濫した水の高さが白壁の線ではっきりわかります。


家が流されてありません。

しばらくして作業現場に到着!

お家の方から作業要請の内容説明を受けました。

流された軽トラ。これが面に出るくらい泥や土をとってほしいと。

リンゴ出荷用納屋。中央上の時計のところまで水がきたそうてす。
時計のところに水位がわかりますか。

流れてきた他人の屋根と倉庫。自宅で自動車修理とりんご農家をされていたとのこと。流れてきた他の人の家の屋根が工場に衝突して壊れ、りんご栽培も復旧についての保険が効かないとか再開しづらいという。

いずれにしろ!これから作業!

作業開始。今回のチームはナンバー2の指示で30分作業。10分休みのタームでそれを繰り返します。


私、日頃の運動不足がたたり、すぐに息が上がりました。また、長野は寒いと言われて着込んでいましたが、すぐに汗をかきはじめ上着を脱ぎ、トレーナーと中のシャツ1枚で十分でした。と言っても休憩の終わりにはまた寒くなるという感じでしたが…。

ともかく泥上げに邁進しました。 土を掘ったり、一輪車でそれを運んだりする作業を延々と。掘っていると、冬眠しているカエルが出てきたり、流されてきた婦人服のセーターや人形、電話帳や仏具などが見つかりました。周辺にはりんご農家も多いんですが、栽培に使うはしごやリンゴそのものもも流されていましたね。










途中、どこかのテレビ取材も入ってました。まさか放送されるとは…

その後、お昼を食べるときにサテライトに戻ると、地元婦人部による炊き出しがありました。体力的に泥上げなどができないお母さんたちの感謝の気持ちだそうです。食事は全てボランティア自身で用意するというのが活動の常識ですが、お言葉に甘えておにぎりや温かい鴻巣うどんを頂きました。







午後も同じ作業を行いました。予定時刻を迎えで終了。残念ながら泥が多過ぎて全部終えることは出来ませんでした。

少しはきれいになったかな。

お家の方に報告して終了、撤収!




再びサテライトへ向かいます。


サテライトでは道具を水洗いしたり、活動報告をしたり。お疲れ様でした!

その後、長野新幹線の水没した車両基地を経由して長野市のボランティアセンターへ。










ボランティア活動の証明を受け、また豚汁とリンゴでもてなしてもらいました。







最後の記念写真


その後、皆でお風呂屋さんに行きました。男子陣はお風呂で色々話しました。もう被災から二ヶ月立ちますが手付かずの部分が多いですね。ボランティアも被災箇所が広すぎて薄くなっているのでしょう。年内は今日で活動が最後とのことですが年が明けてもボランティアの手は間違いなく必要だと思いました。

先に上がって一人でいると、「一人が好きなんですか?こっちに来てくださいよ」。初めて災害ボランティアに来た三田の看護師さんに呼ばれました。たった一日ですが一緒に汗を流した同士ですね。少し話すと看護師の傍らプロレスラーとしても活動しているとか。びっくり(笑)。

帰りは18時前に梓川SAを出て、行きと同じく、茨木、三ノ宮、姫路へと帰りました。姫路駅には24時半。自宅には25時くらいに着きました。バスの中で報告内容を打っていると眠気はなかったです。気が張っていたからでしょうか。自分でも驚きました。

ボランティアずっと続けてこられ、帰りも雨の中を運転をして下さったNさんを始め、多くの皆さんと一緒に活動することができて嬉しかったです。ありがとうございました!!!


ボランティアの現地で見つけた電柱の注意喚起。今回の浸水は2メートル強。つまり想定の範囲内だったということでもあります。考えさせられました。