昨晩、夜の行事を終えてから22時に姫路駅南のバスロータリーで待ち合わせ。
災害ボランティア「播州復興隊」の代表Nさんがこの間、ボランティアをSNSで何度か募集、実施されており、私も行きたいと思っていましたが、なかな日程が合いませんでした。今回は少しの調整で行けるということで参加させて頂きました。
大型二種の免許を持つNさんが運転手、姫路で私を含む2人、神戸三ノ宮駅で4人、大阪茨木駅で大阪や京都の5人が合流し計12名(男女比7:5)で車中泊で途中休憩や給油を挟みながら長野に向かいます。
行政が支援自治体、つまり相手を決め、市町も含めた職員の応援派遣の体制をとることはいいとしても、ボランティアやNPOの活動の場所まで行政が指定するのはおかしいというものでした。
ボランティアの現場には違う伝わり方がされているんですね。少し誤解があるので関西広域連合議員の経験がある私からも説明しておきました。
NPO等は得意分野や独自の横の繋がりを持っており、行政とは少し違うということです。意味がよく分かりました。
流れてきた他人の屋根と倉庫。自宅で自動車修理とりんご農家をされていたとのこと。流れてきた他の人の家の屋根が工場に衝突して壊れ、りんご栽培も復旧についての保険が効かないとか再開しづらいという。
いずれにしろ!これから作業!
作業開始。今回のチームはナンバー2の指示で30分作業。10分休みのタームでそれを繰り返します。
私、日頃の運動不足がたたり、すぐに息が上がりました。また、長野は寒いと言われて着込んでいましたが、すぐに汗をかきはじめ上着を脱ぎ、トレーナーと中のシャツ1枚で十分でした。と言っても休憩の終わりにはまた寒くなるという感じでしたが…。
ともかく泥上げに邁進しました。 土を掘ったり、一輪車でそれを運んだりする作業を延々と。掘っていると、冬眠しているカエルが出てきたり、流されてきた婦人服のセーターや人形、電話帳や仏具などが見つかりました。周辺にはりんご農家も多いんですが、栽培に使うはしごやリンゴそのものもも流されていましたね。
途中、どこかのテレビ取材も入ってました。まさか放送されるとは…
その後、お昼を食べるときにサテライトに戻ると、地元婦人部による炊き出しがありました。体力的に泥上げなどができないお母さんたちの感謝の気持ちだそうです。食事は全てボランティア自身で用意するというのが活動の常識ですが、お言葉に甘えておにぎりや温かい鴻巣うどんを頂きました。
午後も同じ作業を行いました。予定時刻を迎えで終了。残念ながら泥が多過ぎて全部終えることは出来ませんでした。
サテライトでは道具を水洗いしたり、活動報告をしたり。お疲れ様でした!
その後、長野新幹線の水没した車両基地を経由して長野市のボランティアセンターへ。
その後、皆でお風呂屋さんに行きました。男子陣はお風呂で色々話しました。もう被災から二ヶ月立ちますが手付かずの部分が多いですね。ボランティアも被災箇所が広すぎて薄くなっているのでしょう。年内は今日で活動が最後とのことですが年が明けてもボランティアの手は間違いなく必要だと思いました。
先に上がって一人でいると、「一人が好きなんですか?こっちに来てくださいよ」。初めて災害ボランティアに来た三田の看護師さんに呼ばれました。たった一日ですが一緒に汗を流した同士ですね。少し話すと看護師の傍らプロレスラーとしても活動しているとか。びっくり(笑)。
帰りは18時前に梓川SAを出て、行きと同じく、茨木、三ノ宮、姫路へと帰りました。姫路駅には24時半。自宅には25時くらいに着きました。バスの中で報告内容を打っていると眠気はなかったです。気が張っていたからでしょうか。自分でも驚きました。
ボランティアずっと続けてこられ、帰りも雨の中を運転をして下さったNさんを始め、多くの皆さんと一緒に活動することができて嬉しかったです。ありがとうございました!!!