事務所。テレビで改造内閣に対する予算委員会での基本的質疑が行われている。見ないようにしているが見てしまった(苦笑)。旧知の人がテレビに写っていた…。また、委員長の人柄とかもテレビで見てもよく出る。しかし誰も助言しないのか…。時代も変わった。

その後、神戸の県庁。各会派政調会長会。各会派から提案された国に対する意見書案に対して賛否や修正等の意見表明を行う。概ね問題ないが、カジノや消費税を財源とした子育て支援策については原理原則の観点から修正意見。

終了後、会派の決算委員と会派役員との総括質疑に向けた質問事項調整会議に遅れて出席。総括質疑という文言は国会の予算委員会の真似だが、知事や両副知事、教育長や警察本部長、企業会計管理者など県の最高幹部が全員出席する特別委員会の形式である。

実は、国会ではその総括質疑は私のいた頃になくなった。国会における総括質疑も総理大臣はじめ全大臣が出席しなければならないという縛りのある、いわば最も権威ある委員会の形式だった。

予算や重要法案を審議する特別委員会の冒頭数日間と採決を前提とした最後の締め括り総括質疑(略して締め総)のが総括質疑だった。

国会では20年前の1999年に党首討論、即ち、衆参に国家基本政策委員会が設置され、与野党の党首同士が直接論戦するという形式が導入された時に総括質疑は廃止された。

現在、全大臣出席しなければならない委員会は基本的質疑と呼ばれるが、昔の総括質疑より開催される回数は減った。日本での総理大臣の国会出席頻度が多過ぎるという批判を受けてのものでもある。

とはいえ、今や党首討論が(お互いの負荷が高いのか)激減してきているので逆に基本的質疑の回数が増えてきているのかも知れない。

打合せには、遅れて行ったが、発言を求められたので少し遠慮して発言。

その後、議会事務局による議運や様々な重要施策についての当局説明など。

その中である人が会議での私の様子が怖いと。もとより認識してきるが…。私自身、選挙で選ばれているので住民の代弁者として発言することが多い。何年か前の委員会発言回数についての比較報道を見ても多かったが、恐らくいまは委員長をしていないのであの時を超える最高レベルだと思う。

一方、立場を弁えて黙って聞いていることもある。そのときの私の様子を見ての発言だと思う。私なりの挟持と思って対応してきたが…。

党首討論や基本的質疑を導入した1999年の与野党の議運筆頭理事の交渉には党の国会対策担当職員として私が衆参事務局を代表して一人陪席していた。議員同士の議論に何の権限もない私が直接発言する機会など一切ないのは当然。議員に何か事実誤認などがあるときはメモを入れ軌道修正して発言してもらうことはあったが黒子だった。

当時の国会改革は官僚という政府参考人を技術的助言にとどめ、政治家同士が議論するイギリスの国会のような、民主主義の基本に立ち返ろうという改革の主旨があった。

そのためには政治家自身が勉強しておかなければならない。官僚の上に立てる管理者能力のある人しか政府に入って大臣にはなれなくなるという話のはずだった。

そうすると能力のある人しか大臣になれなくなる。いま、在庫一掃のような人選が行われたと言われるのは、当選回数を重ねても大臣になれない能力の人がはやはりいるということ。選挙に強いが…ということだ。

衆議院のように小選挙区制が導入され、1人あたり40万人もの人口があって選ばれての現状がこれ。

とはいえ、傍目から怖いと言われるのは私の人間としての能力が足りないということ。反省してそうした声に耳を傾ける。

その後、議会運営委員会。議会改革について。議員同士らしい興味深い議論もあり面白かった。

散会後、姫路へ戻る。台風が近づいている。何人かの方との会合。遅くまで。

昼食は農業に被害を与えている鹿の捕獲後の食肉流通、つまりジビエに協力しておられる鹿鳴館茶流 入舩の鹿ロースト弁当(小)。