神戸ポートピアホテル。神戸大学医学部医学科創設75周年、並びに(その前身となる)神戸病院創立150周年事業記念式典・講演会に出席。

藤澤正人医学部長による開会の挨拶。神崎郡市川町ご出身です。

県医師会の空地会長の来賓挨拶

歴史と現在の取り組みの説明など

会場の一角に歴史展示のコーナーも

150年前の1869年(明治2年)の神戸病院開院を所管したのは新政府の神戸外国事務役所。病院建設にあたっては寄附金が募られたそうです。文書に外国事務判事 伊藤俊介(博文)の名前が見えます。初代院長はお雇い外国人のアメリカ人アレキサンドル・ベッデル。この病院は兵庫(神戸)開港に合わせて、寄港する外国人が利用出来るように作られたのでしょう。医師養成のための伝習所を併設していたことから神戸病院を神戸大学附属病院の源流としています。

下記リンクには、ベッデル、伊藤博文、木戸孝允らの写った写真が残っています。

展示コーナー風景

式典後、ノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥先生の『iPS細胞研究の現状と医療応用に向けた取り組み』と題する記念講演がありました。以下は、スマホでメモした講演録です(意訳、文責 竹内)。


今日はこうした機会にお招き頂き感謝したい。私、神戸大学の医学部に6年通ったが、医学部というよりラグビー部出身といった方がいいかも知れない(笑)。(医学部のある)大倉山にはあまり行ってなかった。

なぜ医学部に入ったのか?大阪で町工場を経営していたエンジニアの父なく語れない。父が私がまだ大学に入る前に怪我をした。命に関わるような怪我ではなかったが、治療の際の輸血によってC型肝炎になった。当時は治療法がなく、治療しても少しずつ悪くなり58歳で亡くなった。その後、特効薬が発明されたが、もう少し早く開発されていたら…父が生きていたら90代になる。


私は整形外科医になったが、医学研究によって患者の命が救われるC型肝炎特効薬の事例を父のことで身を以て感じたため、その後、大阪市立大学の薬理学の大学院に入り直した。そして更に(研究の先進地である)アメリカに留学した。アメリカでも神戸大学医学部出身の先輩に助けてもらった。また、アメリカの研究が上手くいったこともあり自信をもって帰国した。ところが、(写真のような)PADを患った。PADは日本の医学界では認められていない病気だ(笑)。


とはいえ、神戸大学医学部出身の先輩との縁もあって国立奈良先端科学技術大学院大学の公募研究に採用され、なんとか30代で研究リーダーとして独立した。

そして、研究室のビジョンを「皮膚の細胞」→「万能細胞」(写真)のように決めた。

大学院生が来てくれないと研究室が維持できなくなるので、このビジョンの実現が簡単ではないことはわかっていたが、院生募集の説明会では良い話しかしなかった。そうすると、なんとか初年度に3人の院生が来てくれた(笑)。

その後、2004年に京都大学(再生医学研究所)が呼んでくれた。当時、70代の母がその話を知って電話をかけてきて「伸弥、京大でいじめられないか?」と(笑)。いじめのない学校だったが、一方で助けてもくれない学校かなと(笑)。

iPS細胞の樹立には4つの物質の導入により成功した(写真)。iを小文字にしたのは当時アップル社のiPadが流行っていてiが小文字だったから真似した(笑)。

その後、マウスによる実験で、肝臓の細胞から完全に動き回るマウスを作ったとき、今から10年以上も前だが、その感動は今でもよく覚えている。


2014年には高齢者の眼の病気である加齢黄斑変性の患者のためのiPS細胞の活用に着手した。即ち、患者自身の皮膚の細胞から網膜細胞をつくり、それを移植することで視力の回復をはかることである。手術は理研の高橋先生らの協力で行われた。良い細胞を作ることも大切だが、手術の技術力も大切。私が手術をしても駄目(笑)。

加齢黄斑変性の1例目は、自分の皮膚の細胞から(iPS細胞を培養する)自家移植だった。1年近くかかり、費用も1億円近くかかった。課題も見えた。

他人の細胞から事前に準備をしておけば早く出来るが、免疫の拒絶反応があり、簡単ではなかった。それを研究して、(免疫抑制が出ない)HLAホモドナーの共通項を分析し、免疫抑制剤を抑えた形で導入できるiPS細胞を事前に作っておくことができるようになった。これは日本赤十字社による様々な型の血液提供という協力があったから。いま少しずつ進んでいる。

加齢黄斑変性のほか、パーキンソン病、難聴など現在承認を受けている事業に加えて、心不全も承認を受け、今後、白血病やL型糖尿病なども計画している(写真)。


私の研究室は国による助成金を受け取っているが、それだけでなく、(日本では珍しく)多くの寄附金によって成り立っている。(神戸大学の医学部医学科卒業生の団体である)神緑会の皆さんにも前田前会長(元兵庫県病院事業管理者)が呼び掛けて下さって寄附を頂いた。感謝している。


司会役の前田前会長。ラグビー部の先輩でもあるそうです。

以上。

その後、山中先生を囲んで写真撮影。
何組かに分けて撮影。残念ながらツーショットは無理でした(苦笑)。

その後、記念祝賀会。

井戸知事も駆けつけました。

OBの長嶋県病院事業管理者と共に

余興としてグリークラブなどの出演もあり、盛りあがりました。



お開き。

普段立ち入ることの出来ない領域で、しかも山中先生の講演を直接聴ける機会を頂いたことに感謝、感謝です。ありがとうございました。