タレントの大橋巨泉さんが、12日に亡くなった。テレビは先週、週刊誌などでも今週特集が組まれるなど、テレビ界に大きな功績を残したことがわかる。知られている話をここで書いても意味がないので、参議院議員時代の話を少し。

大橋さんは2001年の参議院選挙、比例代表選挙に民主党から出馬し、約40万票でトップ当選した。この2001年の参院選は比例に非拘束名簿方式を導入して2回目の選挙であり、有名人を出馬させ個人名で投票を呼びかけると旧来の政党名に加えて個人票も獲得できると考えられた(現在も同じ)。

立候補表明も選挙直前で準備期間も殆どない状況ということで、選挙のルールを知るスタッフもいなかったことから、タレント事務所のスタッフに加えて党職員を専従させ、特別な候補者として処遇した。私も当時の後輩が専従となったこと、また巨泉事務所のスタッフが私の高校時代の恩師のご子息という驚きの縁もあって、選挙期間中から少し関わらせてもらった。

結果は上で述べた通り。戦略は当たった。当選後、初の臨時国会が開催され、初登院となるのだが、そこからは私の仕事となる。当時、私は参議院国会対策委員会事務局にいた。

初の議員総会の際のことは今でも覚えている。初の議員総会では役員の挨拶や新人議員の紹介が行われたのだが、その後、突然、巨泉さんが挙手をして、発言を求めた。「僕はタバコが嫌いなんで、この部屋を禁煙にしてほしい」と。

今の世の中からは想像出来ないと思うが、当時の国会内はロビーに灰皿が当然のように置かれていたし、参議院議員総会室[第五控室]も一角に灰皿が置かれ禁煙ではなかった。かなり強い口調だったし、その姿勢たるや初当選の新人ではなかった。

結果はどうだったか。当時の幹事長が即断で禁煙にすると答弁した。実は1998年の初当選の某議員も同じ禁煙要求をしたことがあるが、検討すると回答されてそのまま3年間も放置、実質的には一蹴されていた。

発言が論理的で、単なるタレント議員ではないというのが私ら職員だけでなく他の議員の第一印象ではなかったかと思っている。

それ以降は訃報の報道でも繰り返し使われていたが、半年後に辞職願を提出するに至るのだが、記者会見しようとする巨泉さんを「やめないで」と取り囲んでいたのが民主党ではなく、社民党の女性議員であったことでも分かるように、民主党の安全保障政策を自民党と変わらないと批判するなど、周囲の想像以上に、護憲派リベラル思想だった。国会議員としての引き際、早期辞職は、過去の司会業への正当な評価を傷つけすぎずに正しかったような気がする。世の流れとは違っていた。

訃報を聞いた時、上記の話をすぐに思い出した。また、戦中派として戦争は嫌だという強い思いが死の間際まで週刊現代の連載などに貫かれていたことも思い出した。考え方は違うかもしれないが、信念のある人だ。ご冥福をお祈りしたい。


昼食は野里駅高架下にオープンした「オステリア・バルキーニョ」でランチ。ジャコと水菜のペペロンチーノ。中学校の先輩のブドウちゃんにFBで教えてもらった。宍粟市山崎町鹿沢から移ってきたという。私の母が育った場所だ。