市之郷の県立ものづくり大学校。5/21・22日、姫路お城まつりで開催予定の姫路青年会議所「竹あかり」事業の協力依頼を現役メンバーと。卒業メンバー、シニアとして私も同席。





その後、山陽百貨店。用事を済ませ、銀行に行こうとしたら、旧神姫バスターミナルの跡地にできる新しいビル「キュエル姫路」の前で神姫バスの幹部が勢揃い。竣工式が行われるという。




4月29日のグランドオープンに向けて順調に工事は終了したようだ。オープンが楽しみ。

その後、Yさんと遭遇。人間観察の途中、と。過日私が指摘しておいた案件が善処された旨の報告ももらう。

その後、北条のスシローで昼食。その後、事務所。

その後、大寿台の善教寺。サロン・ド・アミダ。読経のあと結城思聞住職の法話。その後、講演。講師はABC朝日放送のパーソナリティー道上洋三さん。









同局の平日朝のラジオ番組「おはようパーソナリティー道上洋三です」の名物アナウンサー。母がずっとこの番組のリスナーで、私も物心ついた頃から、実家にいる頃は学校前に必ず聞いていた。今も当該時間の運転中は聞いている。以下、講演録(まとめ文責:竹内)。

「1977年、34歳の時に始めた番組がこの4月で丸39年、これから40年目を迎える。アナウンサーになって丸50年になる。

東京オリンピックを目指して山口県熊毛郡から日大に入った。高校時代は110メートルハードルの選手だった。高校国体で15秒8、当時の山口県の新記録だった。

大学に入ると、高校時代とは比べ物にならない練習量と先輩選手のお世話、椎間板ヘルニアにもなって陸上部を辞めた。母子家庭で育ち、入学金をかき集めて入った大学だったが…。それ以降はアルバイトばかりしていた。

陸上は諦めたが、どうしてもオリンピックに行きたかった。行ける仕事はないかなと探した。新聞記者か実況記者か。新聞記者は成績が良くないと大学の推薦がもらえず受けられなかった。アナウンサーなら誰でも受けられるということで片っ端から受けた。たくさん受けたが、筆記試験で英語の簡単な朝日放送に受かった。最初はスポーツアナウンサーとして入社した。

スポーツアナはまず先輩アナからマンツーマンで基本を教えてもらう。その先輩は(国会議員にもなった有名な)中村鋭一さんだった。阪急電車に一緒に乗って見える看板を全部声を出して読めとか、そんな指導だった。高校野球の実況でも中村さんの後ろについて勉強した。中村さんが「おはようパーソナリティー」をやめるとなった時、本当はあとを継ぎたくなかった。先輩のあとはろくなことがなかったから(笑)。

番組では、のべ6000人のゲストを招いてきた。高石ともやさんなんかは1人で20回以上来て下さっている。永六輔さんもよく来られたが、実は呼んでもないのに勝手に来て番組が始まる前に局に来て待っていることがある(笑)。いま永さんは病気療養中だが、沢山の思い出がある。

39年間で2回やめようと思った時がある。21年前の阪神淡路大震災の時。震災の日も放送があり、午前5時46分は打合せ中だった。局のテレビや本、雑誌が落ちてきて、停電でラジオも一時停波した。家人の両親も神戸の東灘で全壊、生き埋めになった。
助け出されて、伊丹の自宅に連れ帰り一時同居した。震災の大混乱の中、被災地に取材に入った社の記者が、震災でラジオが役立ったと聞いてきた。ある人は「遠くの親戚より近くのラジオ」と言ってくれた、と。災害の時のラジオでなく、いつものラジオであるからこそ、災害の時も聞いてくれるんだと思う。

昨日、熊本でまた地震があった。南海トラフ地震もいつ起こるかわからない。阪神淡路のとき、両親を助けてくれたのは神戸の近所の人。警察も消防も道が寸断したりして直ぐに来てくれてるとも限らない。やはり『近助』が重要だと思う。県立舞子高校の防災科の取り組みも印象に残っている。被災した子どもたちの体験を引き継いで行く、声を残していくことが大切だ。

辞めようと思ったもう一回は、63歳の時に髄膜腫になった時。この時は手術のため番組を休むことを宣言した。すると、リスナーから、はがき、メール、手紙あわせて2500通くらい、千羽鶴も20組届いた。リスナーと言っても私と会った人や直接の知り合いが何割いるか、ほとんどいない。親戚や家族が病気になっても千羽鶴折ることがありますか?

ラジオのリスナーとのつながりはものすごく深い。これはこのままやめられないと思った。頭蓋骨を開いて17時間の手術をした。運良く、良性腫瘍だった。術後の経過がよく、こんなに元気になった。

今日は原稿をちゃんとメモしてきたのに、ほとんどそれを話さなかった(笑)。ごめんなさい」

毎日2時間半、ラジオの生放送を39年間続けておられるだけあって、よどみなく、固有名詞を急にど忘れすることもなく、ラジオのように喜怒哀楽も出しながらのあっという間の2時間。ラジオと同じだった。

しかも話の途中で、スマホを操り、阪神戦の途中経過を確認、実況(笑)。73歳とは思えない、流石の道上さん。

ありがとうございました!!

21時頃、片付けを手伝い、会場をあとに。母や同行の妹と一緒。握手をさせてもらうのを忘れたと言っていた。

その後、熊本に実家がある義弟と合流すると話は熊本地震の話に。被害状況について話す。更に、母のサティの元パート仲間でいま旦那さんの転勤で熊本に住んでいるMさんが地震のため昨夜は公園のベンチで寝たという話。ニュース映像を見ると建物というより外に避難している人が多いように見える。寒いと思う。

帰宅後、テレビをずっと見る。日があけて少し『緊急地震速報』が連続して出る。こんなこと過去にあったか、というくらい凄い…。朝まで見る。