神戸の県庁。文教常任委員会の明許繰越議案の審査。『明許繰越』議案とは3月末までの予算期限までに事業が完了しない見通しの場合、議会に対してその遅れる理由等を明らかにした上で、翌年度以降の執行を認めて欲しいと議決を行うこと。

納税者の負担の観点から財政収支は単年度均衡が基本であることからこのような制度が法制化されている。事業が当初から複数年度にかかることが明らかな場合は、債務負担行為という将来負担予測を予算書に明記した上で、議決することとなっているので、基本的には繰越はないという前提が成り立つ。また現在の納税者ではない将来世代も恩恵を受ける社会基盤整備等の場合、起債し、後年度に償還することで将来世代との負担の公平を図っている(過度な負担で先送りとなっているが)。

いずれにしろ、兵庫県の場合、単年度主義の解釈を弾力化し、前年度の2月議会の補正予算と翌年度の4月からの本予算を一体的に運用するとして14か月予算と称している。この弾力化により2月議会の補正予算の大半が明許繰越となるのは当然のことで、これに異を唱えるつもりは全くない。それより下記リンクで批判された委員会の審査が全く改まっていないことだ。

明許繰越された予算が次の1年をかけても完了しない場合、『事故繰越』という。他の議会では、予算化における執行側の見通しの甘さなどについて厳しい意見が出る場合だ。どの学校の耐震化予算が繰越となるか、どの学校が事故繰越となるか。こんなことを聞きもしないで何で結論が賛成と決まっているのか。ここではこのルール自体知られていないのかと訝しく思ってしまう…。

非公式の事前説明は否定するものではないが、当日の審査には必要な資料すら配布されておらず、議員ですら殆どなんのことか分かっていない。県民の方が傍聴したとしてもわからない。唯一の公式記録である議事録を読んでもわからない。まさに批判された形骸化した公式の委員会そのものではないか。外部批判を受けたばかりなのに。

第2部 議会の存在意義(1)無関心 緩む審議、形骸化の一因に(2015/3/13神戸新聞)

そもそも審査をしようとすれば必要な資料要求をする人もほとんどいないのは選挙で忙しいのではない。毎年のことだ。

個人として、上記リンクで指摘された議会の一員として政務活動費とは全く別の情けなく、恥ずかしい気持ちになった。税金泥棒と言われても反論できないような厳しい批判と受け止めた。この記事の批判は私もずっと思ってきたことで、改善されてないことが余計腹が立つ。

文教常任委員会だけの問題ではない。しかし、公式な委員会で真っ当な審査ができる最低限の情報提供の必要性、説明責任について場違いであったが、形骸化を改めるため強く主張。次の新人議員がこれが当たり前だと刷り込まれる前に改善しないと、今後も一向に改善されないだろう。

とはいえ、今日、私の主張に呼応して他党の議員も同様の改善を求めてくれた。救われた気持ちだ。

ところが、また再び暗い気持ちになった。

委員会終了後、会派控室で県教育委員会の所管する美術品関係の約二億円の債権放棄の説明…。そもそもミスに起因した事件で、県民の財産が失われたもの。政務活動費の変換金額と比較しても余程こちらの方が財産的には重い。
それが、昨年秋に消滅時効を迎えたにもかかかわらず、今任期中の予定委員会が全て終わってから説明をする。3月末で債権放棄を執行するなら今日の常任委員会で、報告すればいいのに、同日に終わってから非公式の説明。

強く抗議したが、担当者レベルで決めて実行出来ることでもなかろう。これがマスコミだけでなく、当局からも議会が形骸化していると思われている証左。さすがのベテラン議員も議会軽視だと抗議していたが、議会軽視というか要はなめられているということだ。情けなく、恥ずかしい…。