昨日は、小中学校の学力テストの学校別点数の公表の方針についての新聞報道が目についた。

何回か書いたが、公立小中学校の成績公表とは(学校選択制ではない地域においては)その地域の住民の知的水準公表ということとほぼ同じことではないのか。試験を受けた児童・生徒だけの学力評価だけではなく、その親や地域住民の知的水準の評価ということとほぼ同義という意味。少なくとも東京とか住民の転居や入れ替わりか多い地域以外はかなり高い相関関係があるだろう。

というのも小中学校の児童生徒の成績なんて教師のやる気やカリキュラムや思想でもなく親から引き継いだ能力の問題がまず第一にある。誰も言わないだけの話。

入学者の選抜や学校選択制を伴わない中で、地域の学力を公表し、それをその学校の校長や教師の責任にする。静岡県で少し前に平均以下の学校の校長名を公表しようとしていたが、校長の力と平均点をリンクさせようとする為政者が実際にいるのである。

次に校長に学校の成績によって給与やボーナスに反映させようとするのだろう。

悪いが、学校選択制のない自治体の小中学校の学力と当該小中学校の教師の実力の相関関係なんてそんなにない、というかほとんどない。地域によってはこの問題と国家観とか規律とか、教師の成績評価とかと義務教育の地域別学力公表と一緒くたにしている。

何年か前から実施された公立小中学校の選択制なども先行実施した東京でも失敗の結果が出て、もう終わった話だと思っていたが、またぞろ同じような話が出てくる。

学校選択のできる、義務教育ではない高校の評価を客観評価を全くしてないことは誰も口にしない。こうした点でも主導している人の質が窺い知れる。学力対策というよりもむしろ公立小中学校の教員の統治政策ということだろう。

約1300年前、全国に風土記の編纂が命令されたが、その主な目的の1つはその土地の肥沃度、つまり、田や畑の質を知ることだった。いま地域の学力を把握したとして、その対策を立てるつもりがあるのか。

大阪の低い一部地域でそうした話があるが、正直、現に住んでいる人には厳しい話だ。改善どころか、低い評価が公然化し、かつ固定化する。

いずれ学力が低い学校の教員を低い評価にすると宣言するのか。それで学力が上がるのか。この類の話は教員統治の下の策をやろうとしているだけの話ではないのか。



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