事務所で新聞に目を通していると、下記リンクのような判決の見直しの記事。

千葉・松戸の殺人放火:千葉大生殺害、無期に減刑 「被害1人、計画性ない」-東京高裁(毎日新聞)

こうした刑事事件の量刑の見直しはよくあることで、特段驚く話ではないが、一審の裁判員制度との関係で怒っていた人がいたので記す。怒りの理由は、忙しい中、裁判員制度に参加して判決を下しても、控訴して高裁にいけば過去の判決基準の枠内に杓子定規に収められてしまうというもの。

二審は裁判員制度ではなく職業裁判官が裁き、今回のようになる。判決に市民感覚を入れるという裁判員制度が簡単に覆るなら何のための制度かという批判だった。

死刑の適用基準としては過去の最高裁判決が示した永山基準というものがあるらしいが、一審の裁判員裁判ではこの基準を参酌しつつ厳格には適用せず、前科を考慮し、その悪質性や更正の可能性が低いことから死刑。これが市民感覚だったということだろう。

無期懲役刑以上の量刑の刑事裁判に市民感覚をとの制度の趣旨は、一審に留まるし、拡大もないだろう。下の最高裁のHPには、「裁判員のみなさんには,「事実認定」と「量刑」について判断していただきます。これについては,法律的な知識は必要ありません」とある。法律を知らない素人でもできるとはいえ、裁判員として遺体写真などを見て強いストレスを感じ体調を崩した人もいるという。向いていない方にとっては指名は不幸だろう。通常関わりたくない他人の裁判に仕事を休んで参加した素人の結果がその後、プロに否定される。自分が一審の裁判員だったとして二審の結果を聞けば同じ感覚になると思う。

とはいえ人民裁判は感情や世論に左右されやすいことも事実。 逆に刑事被告人やその弁護人の立場なら今回の結果は逆に受け止めているだろう。弁護人のコメントも微妙だが人間らしいと思う。

●法律の専門家でない国民が加わると,裁判の質が落ちたり,信頼が損なわれたりしないでしょうか(最高裁HPの公式Q&A)

終日、日常業務。夜、病院。私以外の病院通いが断続的に続いている。病院に行く時は私も健康に気をつけないといけないなという気分になるのだが…。

昼食は野里軍人橋近くのモスバーガー。

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