播但線で姫路。山陽電車姫路駅前で朝の街頭演説。小学校の後輩が通勤途中に立ち寄ってくれる。13日間の夏休み明けで今日はかなりブルーという。私が知る限り、最長の夏休みだ。 とはいえ、暇でやることがなくて逆に困ったそうだ…。


今日は涼しいぐらいです。先週との差はかなりもの。

その後、神戸の県庁。行革特・議運委を受けて会派の議員団総会。議員定数特、関西広域連合関係の報告も。9月定例議会の代表質問案についても協議。

その他で会派構成を含む重要な案件について協議。会派20人のうち3人が今月末をもって会派離脱することに。それぞれ異なる理由ということだが、声も出ない…。

政治家の出処進退は自分で決めること、そして、その政治家の決断の是非は「次の選挙」で有権者が判断することになるとも言われる。しかし、有権者目線で考えればおかしい。県議クラスの場合、所属政党が投票の判断材料とされる比率は実はかなり高い。この点で言うと、選挙時点での経歴詐称は当選無効となるが、選挙後の離党等に伴う経歴変更は法律上当選取り消し等の対象とはならない。有権者が「前の選挙」まで遡って票を取り戻すこともできず、一度通してしまえば、主権者さえも議員の活動に対しては「次の選挙」まではコントロール出来ない(リコールは現実的ではない)ということになる。

通常ならこうした観点では投票した側からみれば裏切られたという評価になるのだろうが、実際はそうでもない。その決断が「造反有理(造反することに理屈がある)」と見られる場合があるからだ。投票した有権者を裏切ったというより、逆にそのことに理解を示す向きが多いということだ。今の民主党に対する評価はここに該当するのではないか。

政治の世界でころころ変えることの例えに、しばしば、カメレオンが用いられる。動物のカメレオンは弱肉強食の自然界の中で生き残るために皮膚の色を周囲の色にあわせて変え、身を潜める(擬態)。皮膚の色を変えているだけで、中身は変わっていない。政治家の場合も途中から政治理念や信念が変わる人はそんなに多くない。途中から所属政党を変えるといっても看板を変えているだけがほとんどということだ。これらに共通するのは生き残るためである。

ここ20年を振り返っても、古い政党に見切りをつけ、新しい党に乗り換えて今も生き残っている人がいる一方、政党を変えることに抵抗し、筋を通したことで生き残れなかった政治家もいた。結果として後者は有権者の意識の変化に機敏に対応できず、「泥船」から脱出できなかったと後に評価されている。どちらが勝者なのか。どう考えても社会的には前者だ。

この国ではアメリカに対する意識や評価が終戦を境に一気に最悪から最善に変化したように同じものに対する評価であっても一瞬のうちに劇的に変化することがある。所属政党変更という看板付け替えは意識変化に相当な効果をもたらす。

「政治家は落選すればただの人」という言葉は有名だが、当選しなければ仕事ができないという特性の職業であることに間違いはなく、勤務評価も何もないので、全ては選挙の結果でしか有権者に判断されない。

政党には人気不人気があり、選挙に際して個人の能力では如何ともし難い場合もある。古い政党に義理があったとしてもそれを犠牲にしなければ、生き残れない場合もある職業ということだ。もちろんこの職業だけではないだろうし、裏切りを平然とやってのける人もいるが、個人的には結構辛いことである。いずれにしろ決断の評価は全て有権者の皆さんに委ねられる。

他会派ではこの秋予定されるたつの市の市長選関係で役員交代との話。この秋のたつの市長選挙は激戦になりそうだ。

昼食は、くら寿司。回転寿司のCP(コストパフォーマンス)の高さ。既存の寿司屋が減少しているが、その要因のかなりの部分を占めているだろう。