その後、増位新町の花の北市民ホール大ホール。「銀の馬車道プロジェクト」の日本ユネスコ未来遺産登録記念フォーラム。未来遺産とは100年後の子どもたちに遺すべき地域文化や自然遺産を守り継承する市民活動を登録し、それを推進する人や地域を日本全体で応援する仕組み。国内39登録あり、県内で初の登録となった。


日本ユネスコ未来遺産委員の前田耕作和光大学名誉教授から登録証を伝達された「銀の馬車道ネットワーク協議会」の中元会長


寺前姫路市副市長の来賓挨拶


姫路ユネスコ教会の桑原昭二会長。桑原さんといえば確か私が子供の頃の市の教育長でしたね。矍鑠として挨拶をされていました。


銀の馬車道劇団のリーダー玉田さん


その後、前田委員による「プロジェクト未来遺産としての銀の馬車道」と題する基調講演。

アフガニスタン文化の専門家であり、世界文化遺産国際協力コンソーシアム副会長でもあることからアフガニスタンの文化遺産の保存等についての経緯や実情について、また残すことの大切さについての話も。

アフガニスタンで碑文が出土するのは珍しいが、ギリシア語で書かれた碑文が見つかり世界的に有名になったという。
「少年となればよく学べ 青年となれば自制知る者となり 壮年となれば正義知る者となり 老年となればよき助言者となれ さらば汝、悔いなき死ををえん」
何千年も前の碑文だが今に通用する内容。この言葉で銀の馬車道プロジェクトを応援する話が締めくくられた。

その後、パネルディスカッション。薩摩藩英国留学生記念館総合プロデューサーの砂田光紀さん(銀の馬車道修築の碑を建立した生野鉱山局長の朝倉盛明が薩摩藩の英国留学生出身)。薩摩藩士が英国人を斬りつけた生麦事件が1962年、それに起因する薩英戦争が翌63年にあったにもかかわらず、その2年後の65年には薩摩藩は英国に留学生19名を派遣。その一人が朝倉盛明という(五代友厚もその1人)。当時はまだ徳川幕府体制であり、表向きは鎖国であったため、朝倉らへの辞令は南西諸島の甑島に行けとの内容だっという。近年辞令現物が発見されたそうだ(他にも朝倉が伊藤博文から受けた生野赴任の辞令も博物館に展示されているという)。

次いで、市立城乾小学校教諭の長川智彦さん。担任する4年生の郷土学習として銀の馬車道を取り上げたという(他には姫路藩家老の河合寸翁らが郷土学習の対象となっているそうだ)。朝倉盛明の年表作成やマカダム式道路を石などを積み上げて再現してみたり、飾磨津物揚跡の訪問や感想文の作成など。体験活動や生活との接点のあるテーマは児童の印象に強く残るものになり、歴史に興味を持つ児童も増えたという。実は私もこのプロジェクトは小学生の郷土学習に丁度いい題材だと思っている。

もう一人のパネリストは銀の馬車道劇団の玉田恵美さん。劇団創設の経緯や創設にあたり松竹新喜劇の渋谷天外さんからもらった地域の方々を巻き込んでいくアドバイスなどについての披露も。今日も渋谷天外さんが来られているという。

コーディネーターは兵庫県立大学環境人間学部の宇高雄志准教授。建築学が専門で学生らと地域資源の再発見に取り組み、プロジェクト未来遺産登録の提案をされ、尽力された。銀の馬車道は5、6年前までは播磨の人もほとんど知らなかった。文化を残していくことは大切なことだが、簡単なことではないという結論も。また、ユーモアのある司会振りに結構笑った。

その後、人情劇団銀の馬車道劇団の公演。最後まで見せて頂いたのは初めて。いや~本格的で楽しかった。


小中同級生の旧姓Iさんが私の席に寄ってくれました。お子さん2人が出演され、自身も最後のステージにあがっておられました。他にも知人が出演してました。世間は狭いですね~。