朝の報道番組を見る。尼崎の死体遺棄事件の関連の話が変わらず取り上げられている。親族関係等をあらわす系図も拡大し、もはや全容も何もわからない。先だっての議会の管内調査でもこの事件の話題が出ていた。このニュースがテレビに映るとチャンネルを変えるという人も。もううんざりだと言っていた。この事件で毎日のように尼崎の名前がテレビで連呼され、どれほどのマイナス効果があっただろうか。特に選挙区の方などは怒り心頭だろう。

とはいえ、昨日、あるマスコミ業界の方から聞いたところ、多くの記者がこの事件に投入されており、他の分野の担当も応援に回って、通常の担当人員が手薄になっているという。メディア的には重要な事件で多くの紙面や時間を割いている。多くの人が亡くなるなど被害を受けているが、逆に今や関心がなくなっている層が多い事件。余りに異常で、自分の住む世界とは違うと感じるからだろうか。解説でカルト(狂信)的な事件とする専門家もいるが、恐らくそうなのだろう。これだけの事件なのに途中で立件されることがなかった。社会と物理的に隔絶された施設内だけで起こった事件ではない。本当に嫌な事件だ。

午後、超党派の国会議員、地方議員と勉強、懇談会など。

講師の方から「相手の徳が見えないときは自らの謙虚さを失っている状態」という話があった。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と同様の意だが、気にせず忘れていることもあるし、頭に血がのぼって忘れてしまうこともある。いくつになっても成長しない未熟者…。