10日に韓国の李明博大統領が竹島に上陸し、竹島に上陸した初の大統領などと自国の人気取りに懸命に励んでいる。また、翌11日に行われたロンドンオリンピックのサッカー男子の日韓戦でも、試合終了直後に竹島は韓国領という趣旨のカードを掲げてピッチを走った選手も出た。オリンピック憲章で政治的な宣伝活動が禁止されている云々は特に興味はないが、竹島を日本敗戦のどさくさ紛れに「李承晩ライン」で取り込んだ事実を知っていてこうしたパフォーマンスを繰り返しているのだろうか。子どもの頃から教科書で教えられればそう信じるものなのか。ナショナリズムにおいて事実関係は二の次となる事例なのだろうが、いずれにしろ、現に植民地で政治的主張ができない環境にあるなら、こうした方法で国際的論議を巻き起こすというのは方法としてわからなくもないが、そうでないのにオリンピックではしゃぐというのはいかにもレベルが低い。

日本大使館前では、植民地からの開放を記念する8月15日を前に抗議行動なども行われているようだ。そのデモ隊の横断幕には「対馬も韓国の領土」だとハングルで書かれているとのテレビ報道も見た。対馬の人だけでなく、大半の日本人が本当にこんな主張をしているのかと驚くと思うが、1951年の日本の連合国に対する講和条約(サンフランシスコ平和条約)の締結の際に、韓国はアメリカに対して、竹島の領有権を韓国に認めるよう主張している(下記リンク参照)。それに対してアメリカは「ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。」と回答している。当時のアメリカが韓国より日本に肩入れする判断を下す必要はないのは明らか。これをみても、突然の主張であることがわかるが、下記の文書には触れられていないが、別に対馬を条約に規定するように求めた公文書も存在するようだ。日本の敗戦を機に上手く行けば儲けものみたいな話でとんでもない話である。

「サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い」(外務省HP)

最終的にサンフランシスコ平和条約では、日本が「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」の独立を承認すると規定されている。このうち鬱陵島自体は過去に論争があったようで、江戸時代に朝鮮領とすることで幕府が認めているが、竹島は上記リンクでも明らかなように鬱陵島とは違う。明らかに韓国による不法占拠である。1952年の「李承晩ライン」の設定、54年からの沿岸警備隊を駐留させ、実行支配という既成事実をつくっているだけの話である。

日本は「毅然とした態度」をとらなければいけない。この類の主張はどこでも見聞きするが、毅然とした態度とは具体的には何なのだろう。政府としての対応だが、大使の本国召喚という措置は外交上意味があるのかもしれないが、残念ながら、日本国民にとってどうでもいい話に映っている。国際司法裁判所への提訴という話もあるが、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行えないという。竹島問題の経緯から判断すれば韓国が受けるわけがない。大人でない国の対応に毅然と対応することとは何なのか、考えさせられる。

そうしていると、李明博大統領は天皇陛下に対する「謝罪」要求をしたそうだ。訪韓したいなら独立運動で亡くなった方々を訪ねて心から謝罪するのならいいと話したという。過去の「痛惜の念」程度の言葉なら必要ないそうだ。過去の対日謝罪要求外交をそろそろ否定して新しい日韓関係を志向する大統領だったはずが、いつの間にか豹変してしまった。

事情通は、支持率の低下や政治資金の関係で実兄の国会議員が逮捕されたことなどをあげ、半年後大統領任期が切れた際に、過去の多くの大統領と同様に、汚職等で自らも逮捕される可能性を感じ取り、竹島に上陸した初の大統領ということで恩赦を期待するという話も聞こえてくる。確かに、退任半年前に就任当初否定的だった反日感情を煽るための案件を持ち出し、国内ナショナリズムを煽る意義としては十分考えられる話だ。いずれわかることだが、民主主義をとっている国のトップがこうした状況では話にならない。

日本では、ナショナリズムを煽り、国民の不満を外に向け、政権浮揚に使うといった戦術は、今のところ実行されるに至っていない。佐藤優さんもある新聞で、この手法を使わずに国民を熱狂させる指導者は評価できるという趣旨の発言をしていたが、そうこうしていると尖閣諸島への上陸を狙う中国船が香港を出港したという話も。少し前にはロシアのメドベージェフ首相も北方領土に降り立った。周辺諸国がナショナリズムを煽る中で日本だけが大人の対応というのは簡単ではない。日本は経済も右肩下がり、ナショナリズムが喚起される適期に入っている。平和ぼけしていると言われ続けてきたものだが、いつまでもぼけているわけにもいかないようだ。近代、明治維新、太平洋戦争と外圧を契機に大きく変わった日本。やはり外圧で変わっていく気がする。