姫路から神戸空港。


朝の神戸空港。

姫路・神戸空港間のバスは随分前に廃止されたことでもわかるように姫路から神戸空港のニーズはあるように見えて実はあまりないようだ。姫路在住の私にとって神戸空港を基点とした行動は新幹線や伊丹空港に比べて不便である。特に朝の通勤時間帯ともなると車は渋滞があるし、電車に大きなカバンを持って乗るのもまた大変である。とはいえスカイマークを使うそうで安くなるということで選択も納得せざるを得ないが、今後、本格的なLCCの参入があり、さらに安くなるのだろうか。これまでの料金体系は何だったのだろうと思わせる値段の設定も今後更に出てくるのだろう。会派の班別調査で長崎県へ。


長崎県中対馬病院


村瀬院長はじめ病院幹部の皆さんに挨拶する小池政調会長

村瀬院長から出身地でもある対馬の歴史や背景の直接説明を受けた後、僻地医療、医師確保対策、救急医療体制の構築、ドクターヘリの運用と実績等について説明を受けた後、意見交換など。


対馬の島内医療機関の現状。現在3病院体制だが、2病院の統合・新設を計画中。中対馬病院でも1人しかいなかった小児科医が過労を理由に退職し本土へ移るなど、医師に過度な負担を招けば、医師不足は更に深刻になる可能性がある。医師不足の中でも診療体制を確保するには病院の統合が欠かせないと判断しているいう。

「(最近勤務医離れが指摘されているが)長時間勤務は苦にならないという勤務医は多いが、(医師不足の状態では1人の医師に任される範囲が広くなり)自分の専門外の患者をみるというのは疲れるという医師は多い」との話も。

一方、島内のいたるところで病院統合反対の文字の入った議員のポスターを見掛けた。統合によって病院が遠くなる人はすんなり賛成しないのが実情だろう。


島内の常勤医師数は38名。自治医大出身者と県奨学金貸与制度の利用者である若い医師に頼るところが大きく、約半数が単身赴任。こうした制度がなければ離島の医師確保は難しいという。高度な研修や先進医療に関わることは離島では難しいからで、自治医大等の出身者も離島での勤務義務年限が終わるとすぐに島を離れる人が多いのが実情という話も。「医学生売り手市場」の現状で、自らの意思で僻地医療に関わろうとする人はあまりいないということだろう。残念ながらそれが現実なのはここだけの話ではない。


救急医療体制。「3次救急はヘリ搬送」となっているが、島内には脳外科の医師もいないため、脳梗塞などの脳血管障害についても大半がヘリ搬送の対象となっている。


現在、救急搬送が1時間以上かかる地域が赤丸の地域。1時間もの間、容態の悪い患者が揺られ続けると、嘔吐や症状が悪化する患者もいるという。嘔吐物を原因とした肺炎の例も。院長自身、山道を1時間半もの間、救急車に乗車して揺られ続けた結果、嘔吐した経験があるという。


そのための新病院の整備


新病院建設後の救急隊の課題。今後は、ドクターカーを配備し、搬送地点と病院との中間地点で医師と落ち合い早期に処置できる仕組みを考えているという。


最後にヘリ搬送について。対馬で患者搬送に用いられるヘリの種類。ドクターヘリは本土の(独)国立病院機構 長崎医療センター(大村市)に基地がある。午前8時半から日の入りまでの運用(日中のみ)で医師3人が交替で勤務する。1機しかないため同時に2つの要請があれば、近いところが優先されることになっている。このほか、民間病院の運用する「ホワイトバード(民間の福岡県の和白病院運用/ドクターあり/復路も無料で利用可/日中のみ/患者が希望する場合に要請)」や自衛隊ヘリ(海自大村基地/要請側のドクターが乗る/24時間利用可。出動まで少し時間がかかる)、県防災ヘリ(月曜日中のみ運用)もある。


搬送の実績。症例としては大半が脳外科疾患という。ドクターヘリよりも民間病院の運用するホワイトバードや自衛隊ヘリが多くを占めている現状がわかる。離島ではあるものの無医村ではないこともこうした結果につながっているのだろう。搬送手段としてのヘリとドクターヘリを少し分けて考えることも必要かもしれない。

※長崎医療センターのドクターヘリの運用全体では2006年12月に導入され5年間で2622回出動(佐賀県西部へも出動。2010年度の1機あたりの出動回数は全国3位。1位は豊岡)。うち病院間の転院などを除き、救急を担当する消防機関から要請があったのは987件。このうち死亡が防げたと推定されるケースが34件という。一方、ドクターヘリ1機の年間運営コストは約3億円。対馬専属のヘリを配備することは費用対効果の面でも難しく検討されていないという。

最後に話があったのは、「最近は病院において患者のたらいまわしなどと批判されることがあるが、中対馬病院は一度も救急搬送の要請を断ったことがない。他に行くところがないから」という。様々な面で大変な場所で仕事をされていることかわかる。看護部長は兵庫県立病院の勤務歴があり、院長は姫路のマリア病院に昔行ったことがあるという。私が生まれた病院ですというと「世間は狭いですね」と笑っておられた。


その後、県立対馬歴史民族資料館。朝鮮半島や大陸との関係では、文永・弘安の役(元寇)や文禄・慶長の役(朝鮮出兵)で最前線において様々な役割を果たしている対馬だが、三国志の魏志倭人伝に朝鮮半島から邪馬台国への順路の中で最初に取り上げられている。「山が険しく、森が深く、良田がない土地で、海産物で自活したり、船で海を渡って穀物を買っている」と。貿易立国である。江戸期には、朝鮮との交易再開をめぐって幕府の文書を偽造するなどかなり危険な橋をわたって、朝鮮通信使をスタートさせる立役者となり、釜山の倭館において李氏朝鮮との交易を一手に引き受けている。農業に不利な土地でも貿易で繁栄してきた地域である。現在も半島との交流は続いており、県立対馬高校には韓国語のコースもある。

北部は韓国・釜山市との距離が50キロと日本本土より近く、夜景が見えるほど。戦前は島民の高級品の買物というと釜山のデパートに行くことが多かったという。医療関係でも釜山大学の医学部と長崎大医学部の交流もある。少し前に対馬における韓国人の土地購入等について大きく報道されたことがあるが、地元の受け止め等は少し違うようだ。やはり現場に足を運ばないとわからないこともある。

島の人口はピーク時の7万人が3万4千人になり、更に減少傾向にある。全国一のアナゴ水揚げをほこる長崎県の大半の水揚げは対馬である。しかし、水産業という第一次産業の比率は魏志倭人伝の頃とは違って1割にもみたず、実は3次産業が3分の2を占めている。昔のように貿易の中継をして儲けるということはできない。生き残るために先人と同じく必死に頑張っている。