久方ぶり(当社比)の更新です。





今日もSさんより進呈いただきましたる画像。ありがとうございます。






ひとまずこちら!!!!!!!!!!


最新の推し!!!!!久々の推し!!!!!!最高最強ひたすら可愛い!!!!!!!!!!
←地団駄。






拙者ネットの画像は貼らないの誓いを立てたでござるからして、いくらかわゆくても貼れない…貼れないわ…だったら画像の一部なら良くね!!!!!!!!!!????と思い貼る←何なん。





かわいい…皆さん見てくださいよ、これが少し前まで肩に手がつかなかった国民的俳優の腕ですよかわいいわ…





そしてこれね!!!!!!!!!!いいね最高だね魅惑のブラックボックスだね!!!!!!!!!!!!!!!
←普通に画像貼った方がまだマシなんちゃうか。




お肘に傷があるように見えまするのは気のせいですかね。久々の半袖で舐めるように、いや、噛み付きしゃぶり尽くさんばかりに見てしまいますね、ごめんよクラスタなんてこんなもんだよサトウさん。




これもダメかなあ。←もういっそ貼れよ。





いちいち突っ込むのも飽きましたな。いやしかしたけさんよ…アンタには飽きませんよ困ったな飽きさせろよ参ったなフフフ。







いいシワだわぁ…じゃぶーんと飛び込みたいわぁ…うふふふふ…飛び込み飛び付きしがみつきオホホホホホ←おまわりさーん、こっちでーす。






いかんいかんもうやめよう。

さて更新を数日お休みさせていただきましたが、正直今回初めて、初めて私、「毎日ブログ書いてた自分よくやったなあ…」てしみじみ思いました。ブログを書かない夜ってこんなにのんびりしてるんすね…。




や、ブログ書かなくても結局本読んだりTwitter見たり何かしらしてるんですが、違う。文章を考えて形にするって、思いの外ものすごく脳を使ってるんだなと改めて思いましたのよ…のんびり書いてるだけと思ってたけどやはり疲労度が違う。気づかんかった。





最近こそ週末は更新お休みをいただくようになりましたが、それまでは足かけ2年?2年半?忘れたな。ひたすら毎日毎日毎日書き続ける日々。暇人かよ。






クタクタで寝落ちしそうになりながら、もしくは寝落ちした後また起きて無理矢理書いたり、自分の手術前日・当日・翌日も更新。お前よくやんな。マジな。




これからはセーブして週1、2くらいの更新になるかも。と言いつつやはり毎日書いてしまうかも。こればっかりは分からんなぁ。






今回は休んでる間に色々ありまして。いや、むしろ色々あったから書けなかったのかも。両方かもしれません。心があまり、ブログを書くという方向に向かなかった。




余裕が無かったのかもしれない。大概辛いことがあっても、ブログに書いたり、または関係ないバカな記事を書けば今までは紛れてたのに。




状況的に大きな変化は無いんですが、主に心の中だけで嵐が吹き荒れ、寄る辺なく波に翻弄される木の葉のようで。ああ私は弱いなあ、こんなにも心がぐらぐらで足元はひたすらに脆弱な地盤。




ふとした瞬間気を抜けば仕事中も涙が出そうで。大好きな大好きな聖書の言葉だけを、何度も何度も心の中でつぶやきながら乗り切りました。




明日のことを思いわずらうな。

明日のことは明日みずからが思い悩む。

一日の苦労はその日一日で十分である。




もう何度も同じようなことを思うのだけど、私たちに与えられているのはひたすらに今だけだ。一秒先の未来さえ、それはまだ存在していない。私たちが生きているのはただ、清々しいほどに、今だけ。




けれど私は、まだ存在しない未来を恐れている。私の中の想像力が悪い働きをするようで、思い描く未来はひたすら暗く、悲しく、希望が薄い。




待て待て、それは確定した未来なのか?悲観的で悲劇的で目の前が暗くなるようなその未来は、今現在、存在するのか?しないだろう。私は存在しないものを恐れ存在しないものにおののき、存在しないものに打ちのめされている。





命なんて分からないのに。今夜死ぬかもしれないのに。あるかどうか分からない数年後の不安に囚われるより、私は「今日」やるべきことがある。「今日」見るべきものがある。「今日」伝えるべき言葉がある。




来るかもしれない暗い未来に対して、だったら備えるべきものがある。学ぶべきことがある。そこに目を向けるしかない。




と、前向きになれる時と、真逆に落ち込む時と。両方を一日のうちに行きつ戻りつしながら生きている。悪い想像をするなするなと思いつつ、しかしやはり現状を現状のままに見ると、あれもこれもと問題が山積みで。ヤバイこれ詰むぞ、と。




家族の存在や笑顔、誰かの何気ない一言に支えられつつ生きている。つくづく私の周りに配された多くの尊い存在に、神様からの恵みを感じる。




10年前。子育てに明け暮れながら過ごす中で私は、今こうして毎日ブログを書く日々など想像すらしていなかった。ブログを通し、推しを通し、もはや親戚より友人より頻繁にやり取りし、互いの人生の辛さを分かち合う存在を全国各地に与えられようとは、欠片ほども思わなかった。




20年前。私は学生だった。片田舎のちっぽけな小娘だった。自意識ばかりが暴走し自己嫌悪にかられながら、こんな自分が家族を持てるなんて考えることもできなかった。にも関わらず数年後、当時は互いに存在も知らなかった南の島の青年と恋に落ち、私はかけがえのない子らを授かった。




どれもこれも完全に私の想像を越えていた。私の想像力の何と貧しいことだろう。神様は私の思いもしない恵みを、思いもしない場所から注いでくださった。時に身を引き裂かれるような痛みと苦しみを注がれながら、けれどやはりそれすらも、その出会いへと私を導いたものに他ならなかった。




だから、もう明日のことを思いわずらうな。例え暗い未来が来たとしても、私は既に余りあるほどの恵みを受けている。もう明日のことを思いわずらうな。どう悩んだところで私は今しか生きられない。




明日のことを思いわずらうな。10年後20年後、私はきっと、今は互いに存在すら知らない誰かに出会っているだろう。それがその時自分に何をもたらしているかは分からないけれど。




それがきっときっと喜ばしい出会いであれと願い、祈り、今与えられている出会いをただ大切にいとおしむ。失うかもしれないものは確かにあるだろうけれど、引き換えのようにして与えられるものを心待ちに生きたい。そうする以外にどうしようもないのだから、もう腹をくくるしかしょうがない。




とか何とか悟ってみたりまたもや揺るがされたり。そんな風にして人生は続く。そうしてるうちにゆるやかにゆるやかに苦悩は形を変え、いつの間にか自分に馴染み一部となっていく。それも含め私の人生、と。







相変わらず長いブログだな。久々書くと語り尽くすもんだ。方向性はいつもこんな感じでさ迷いっぱなしのブログです。それでもよいよという奇特な方は、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。