長野で大きな地震がありました。お近くにお住まいの方々大丈夫でしょうか。
夜遅い、暗い時間の地震です。余震に気を付けて、近隣に声をかけあい、どうぞ少しでも安心できる場で過ごせますように。早く、無事に朝が来ますように。
さて、気づけば今日はブログ始めて丸2年。3年目に入りました。
名前も知らない、初めてちゃんと見るその青年の、どこにそんなに惹かれたのか。今となってはその当時の自らの心など、ただ想像するしかできないのですが。
さてさてまずこちら。
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ちゃんと貼れたかな。ビビビビビリヤードするドハンサムな佐藤さんがいらっしゃいましたよ…!!!!!!
律が全然いねぇ。全部、たける。
←消え失せろ。
←不謹慎です。

静かな怒りを最初は押さえぎみに、でも次第に感情を高ぶらせていく様子が本当に、息が詰まるくらいリアルで。対しての鈴愛の一歩も引かぬ食らいつきぶりがまたいっそ清々しく。
この二人の攻防だけで15分でも全然良かった。ホントに観たい、もっと二人の感情の絡みぶつかる様をつぶさに。
たまたま今日は旦那さんお休みで隣にいましたもので興奮のままに叫びましたよね「ねぇこの、この高ぶっていく様がホント、ホント、ホント、ホント好き!!!!!!たまらんヤバイあたしも律にこんな風に諫められたいし声荒げられたいし『ダメだコイツ』みたいな目でうつむいて首振って溜め息つかれたいしフアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
旦那「ダメだコイツ」
実際を言えば、病に対しての立ち向かい方、または立ち向かわなさ、は、個人の自由だと私は思います。その意味で言えば律の意見に私は賛成です。
が、しかしそうやってただ手をこまねいて端から見ているだけの生き方が本当に相手のためなのか、も、大きな、永遠の命題でしょう。命に関わることならなおさら。律と鈴愛、どちらが正しいか正しくないかは、結局は当事者である秋風先生にしか判断はできないのだと思います。
今日の衝突一つ取っても、互いに真逆でだからこそパズルのように組み合わせた時にピタリと気持ちいいほどに力を発揮するであろう、二人の二人だけの、生まれた時からの並々ならぬ繋がりの強さを思いました。
まだたったの丸2年なんて信じられない。もっと長く書いてるような気がする。ブログの初期からお付き合いいただいてます方々とも、もっと長い付き合いのような気がする。

一年前。ブログにかまけてしまう自分を省み、一時期(ホント一瞬)更新停止をしましたが、やはり戻ってきてしまった、引き戻されてしまったのは、もはやこのブログが完全に自分の一部であることに気づいたからです。

自分の一部を引き剥がすことはもはやできはしない。しかし鈴愛ではありませんが、羽根より軽い言葉で誰かを傷つけてはいないか。自覚無きままに他者を貶めてはいないか。それは、常に恐れていることです。

私は私の狭い基準でしか生きてない。だから本当はそんな者がこうしてネットという公共の場で好き勝手に声を上げ続けることの怖さも、自覚してはいたりします。これでも。
それでも私は書き続けたい。欲望のままに、書きたいという本音のままに。ひたすらに、中身があろうと無かろうと、需要があろうと無かろうと。毎日毎日、その日の思いのほんの一部分に過ぎないのだけど。自分の一部を、言葉にして残したい。
お読みいただきありがとうございました。












