こんばんは。またはこんにちは。もしくはおはようございます。
ついに来ました最終話。
7/31配信…7/31配信、全10話の感想書くのにまさかの!まさかの!約4ヶ月半を費やすって何?!な弊ブログでした。ここまで来ました。やっと。なっが。
以下、今までのネタバレあり感想。くだんねーことばっか書いてるのにこの時間のかかりよう。その辺の言い訳も統括的感想に記したい。需要?知らねぇ書かせてくれ!
では最終話です。ネタバレしています。どうぞよろしくお願いいたします。
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冒頭、井鷺とのシーンなんすけどね。藤谷の「僕はずっとーー父親とか兄弟とかそういうものを勝手に求めて あなたが僕を導いてくれるのは当然だって思って」のとこ、最初はフーンて聞いてたんだけど最近センセイなかなかなこと言ってんな?てウキウキしちゃいましたこと私です←何?
まず、藤谷は井鷺に父親や兄弟的なものを求めてたんだ!マジで!?てウキウキしちゃって(←だから何で?)。え、だってこれ井鷺きゅんも嬉しいでしょ大好きな藤谷くんから父や兄代わりに慕われてたわけよ?それ聞かされて内心エーーーーーーーマジでーーーーーーー????て跳ね上がったと思う。(極太で書くほどのこと?)
井鷺の手がピクッて動くじゃないですか、この時。あ、喜んでる。この人しかめっ面しながら実はめっちゃ喜んでる。て思た。
しかも「導いてくれるのは当然」というナチュラルな王子気質!これには私も井鷺と共に鼻息フンスフンスなりましたね〜(井鷺はフンスしてない)。てかこれ井鷺のプライドを怒涛の勢いで慰撫してるんすよ無自覚に!すごない?!
この時井鷺は、「僕にとってあなたは父であり兄であり自分を導く人間なんだ」と。こう宣言されたんですよ絶対敵わない天才・藤谷自身から。
これめちゃくちゃ嬉しーーーーー絶対嬉しーーーーーこの時はまだ頭の中混乱してて上手く受け止めきれてないけれど絶対この日の夜寝る時ベッドの中で反芻してジワジワ来たはず。その時になって浸透してきて奇声発しながらジタバタ身悶えてる。妄想です。
何の話だっけ。あ、テンブランクのライブです。それが本論です。井鷺ベッドの上で赤面ジタバタで記事が終わるぞ、いかんいかん。
藤谷の顔にガバっと被さる「旋律と結晶」の文字がたまらなすぎる。クッッッソかっこよか。フォントまで完璧。もっかい言う、クッッッソかっこよか。これアイデア出したのどなた?柿本監督?めんたいこ好き?お歳暮送ろか?(福岡のおばちゃん)
しかしたける氏の痩せっぷりが実に藤谷直季で見事なんよなぁ…はたらく細胞関係でワイドショーで見た時にその風貌があまりにあまりで心配したんですが、こうして藤谷直季として折れそうな華奢さでライブしてるの見ると「これだよね」と納得してしまう。
むしろファンミやアジアツアーで今の普通体型に戻ったたける氏がテンブランクやってるのを見ると私なんかは微妙に違和感…藤谷直季がふっくらしてる…て思ってしまい…いやいや全然ふっくらちゃうぞ、これか普通だぞ。と我に帰る。ほんと撮影中に減量がんばったんやね…あのハードワークの中を…。
ライブに戻ります。1曲目からメンバー全員で朱音のドラムを煽る煽る。もう好き。全オレが好き。みんないい表情すぎる!1話の対坂本以来のセンセイの指クイクイ煽りもごちそうさまです。
いまさらですがバンド唯一の女性がヴォーカルではなくバンドの屋台骨のドラムであるという設定の良さね。私がたけクラなので主にセンセイの話ばかりで、さらに後半は高岡と坂本にダイビングしてしまったせいであまり宮﨑さんに言及できないまま最終話を迎えてしまいかたじけない。
鬼気迫るドラム魂、最高でした。ありがとう宮﨑さん朱音を演じてくれて…!と、余韻に浸る間もなくこの爆裂ドラムの流れで『約束のうた』である。構成最高すぎるやろ!!!!
歌い出しと共に、ドラムの前からダッシュで客席に寄る演出最高。さて私はここまでに何度最高と言いました?陳腐で平べったい語彙ですみませんがご容赦いただけたら。
ただ朱音ママが語る「音楽ってさ 突き詰めるとうまい下手じゃないのよね云々」に関しましては聞いていて共感性羞恥が発動してしまった…それそのまま言葉にしちゃうんだ、と。
それはーーー言葉じゃなくーーー彼らのライブを見れば一目瞭然なのでーーー陳腐なセリフにしてほしくはなかったかなーーーみたいな。
ただ、セリフにしなくても伝わるものをわざわざセリフにしたということはやはり作り手が特に伝えたかったところなんだろうね。あえて、という。まぁそれは分かる。
でもだったら朱音ママの語りではなく、甲斐と源司のセリフにしてほしかったな(もちろん各キャラに合わせたセリフにして)…身内の語りだと何か恥ずかしくなると言いますか…YOUさんの演技が悪いわけではないんだが…
で、「終わらせはしない まだ」で高岡に掴みかかるような勢いで歌うセンセイ、ありがとうございますホラもうこれだけで何もかも伝わる…。
あ、そうそう単に私が遅れているだけなのかもしれませんが今のライブって皆こうしてライブ中にスマホでつぶやいたり投稿したりネットニュース見たりするもんなんですか?こちとらライブと名のつくものに行っていたのはスマホが出てくる遥か以前なのでかなりカルチャーショックだったんだが。
てか目の前に推しがいるのにスマホ画面見るの?!投稿するためには一旦推しから目を逸らさなきゃじゃん?!それいいの?!今は皆そんな感じ!?
え、ライブ中に飛び跳ねすぎてハードコンタクトを落とすも1秒たりとも推しから目線外したくなくてそのまま片目で飛び跳ね続けた私には分からない感覚…しかも次の年も落としてその時も拾いも探しもせずコンタクトを犠牲にした。とにかく目線を外すなんて考えられなかった。←少数派です
で、ユキノさん登場で私の大好きな『君と歌う歌』です。正直ユキノのあの暴露のやり方は悪手だと思うしそれに関しては支持はしかねるんですが、そもそも悪いのはユキノじゃなく井鷺だしな。というところに着地を見ました。
しっかし髙石あかりのボーカルっぷりは凄まじい。このボーカルっぷりとは歌唱ではなくパフォーマンスです。歌は吹き替えですからね。そう、吹き替えなんですよ吹き替えなのに本人が歌ってるとしか思えないパフォーマンス。これほんとにすごいなと思って見てました。
で、先ほども書きました「ライブ中にスマホ見るの?」に付随して出てくるのが、目の前にいるアーティストに関するセンシティブなネットニュースが通知で出てきてしまう問題。シトラスの回でも桐哉が刺されたことが秒でファンに伝播しましたが今はこんな感じなんですね、こわー。
そしてここからは藤谷直季の渾身のMC。あのね、このシーンもそうだしテンブランクの曲ってたびたび『命』というフレーズが出てくるんですが、それを聴くたびに私の胸に去来する人がいます。2020年7月に突如この世を去った俳優さんです。
これは全くの100%個人的な思いに過ぎないのですが、けれどあの7月以来、佐藤健が『命』というものに相対する役を演じる時に生涯離れることのない面影があるとしたらそれはきっと彼で。私は勝手にそう想像しては自分の思いをそこに投影していて。
それが果たして許されることなのかどうか分からないけれどもう反射的に浮かぶもんだからご容赦願いたいと思う。ここの藤谷の語り、そりゃもう直接的だし何ら隠喩の無いストレートな生命賛歌で聞いてて少し気恥ずかしくなってしまうけれどだけどそれがそれこそが、佐藤健の伝えたいことだったのかなと。
佐藤健はグラスハートで何が伝えたかったんだろう?あんなにも骨身を削りプライベートと仕事の境目さえ無くなるほどに心身を注ぎ込んで作品作りに何もかもを投げ打った。そこまでして何がしたかったの?何を伝えたかったの?
私は思う。きっと彼は喪失や別れや困難や哀しみの中で音楽に救われたんだろうなと。そういう経験をきっとしてきたんだろうなと。だからドラマグラスハートを作りたかった。
命を燃やして音楽にその身を捧げる天才たちを通して、人は音楽に救われるんだということと、音楽そのものへの愛と敬意を叫びたかったんだ。
で、ここで!ここで!まさかの桐哉登場でブチ上がりましたよね!ブチ上がりましたよね!ブチ……あれ?……桐哉……だよ?ね?(と、初見の際そこそこパニクった)
えっ…と……桐哉やんな?????というのがハイ正直な初見の感想でした、ごめんね。←cv藤谷直季
別作品のため増量中だったとはずいぶん経ってから知ったわけですが、しかしまぁこの物理的ビジュアルの変化をものともせず桐哉を魅せきってしまう菅田将暉の演技力。と、それを完全信頼していたからこそ、増量将暉(どんな呼び名だ)にも関わらずおそらく「問題ない」と判断した佐藤P。
またこうして見るとシトラスまでのTHEビジュアル系なほっそり桐哉ではなくレスラーみたいなガッシリ桐哉の方がこの場面では良かったのかもと思う。病身の藤谷を支える腕のたくましさがすっごく効いてるよ〜どちらがお兄ちゃんか分かんない感じもいい。
そして藤谷の「僕らは必ずまた戻ってきます その日まで お互いいろいろあるでしょう」にはアニバイベ他で私たちファンに向けられた言葉を彷彿とさせますね。
あのね、そうなのよ、人ひとりが生まれて死ぬまでの間にはね、語り尽くせない「いろいろ」があるんだよ。
私たちはその「いろいろ」に彩られたり殴られたり喜んだり打ちのめされたりほんわかしたり立ち尽くしたり、そんな中で小さな小さな日常を営んでいく。ドラマにも映画にもならないけれど、この世に私ただひとりが持つ人生の中で。
そうした「いろいろ」の後ろで流れるあのメロディ。伴走するあのリズム。先をゆき手を引いてくれるあの歌の歌詞。ドラマグラスハートの主人公は音楽だ、とはどなたの感想だったか。ほんとにそうだなと思います。
いつのまにか統括的感想に雪崩れ込んでおりますのでもうそのつもりで書きますが、私にとってこのドラマはとても厄介な作品でした。
以下、今まで以上に非常に個人的な感想です。ご了承いただけた方のみお進みください。お読みいただいた後の苦情はお寄せいただきませんようお願いいたします。
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そもそも今までは世界で一番好きな俳優さんが演じるその人物を愛して愛して愛していれば、またはその演技力に魅せられていれば作品を存分に楽しめたのに今回はそれができない。彼の役割は今回主演のみならずエグゼクティブプロデューサーだったので。
つまり作品全体に彼の熱と情と知と理と欲がドッブドブにあふれてて。ファンとしてそこにもしハマれたならばこれほどの幸せは無いだろう。でも私はなかなかハマれませんでした。そうか、私とたける氏の感性はわりと乖離してるんだなぁと改めて知る。つら。
でも見終わった時は脱帽でしたよ、もちろん。「私は佐藤健のことを何も分かってなかった。こんな泥臭い天才ほかにいない」と全力ツイートしたったもん。
で!!!!そんな全力称賛する自分と、でもやはり上手くハマれない自分とで凄まじいばかりの反復横跳びでした夏からこっち。誇張無しでわりと長く落ち込んでた。誰も悪くないのに。
結論を言えば私はこの作品のターゲット層から少し外れた場所にいたんだなと思います。作品のクオリティが低いはずもない。原作者も太鼓判を押し、普段ドラマを観ない人をも虜にし、音楽チャートまでも席巻した。文句のつけようもない。ただ、私はそこに行けなかった。それだけ。
それだけなのに…それだけなのにマジでつらかった。たける氏の奮闘を分かっていてなお「でも私はそれに乗れない」という。
干支が一回りするほど長く好きな人のプロデュース作品なのに、という苦悩。てなわけで筆が乗るわけもなく感想記事もこんなに遅くなったというわけです…。
じゃあなぜハマりきれなかったか、乗れなかったかは↓に既にフライングで書いてました。
以下は6話感想からの抜粋。長いですが私がハマれなかった理由をかなりうまく抽出できてるなと、手前味噌ながら思います。
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『音楽って大きな力を持っています。人を励まし慰め力付け、鼓舞し、癒やし…そういう個人的に働くパワーのみならず、社会を風刺し問題提起し世界を動かす力足り得る。
総括的感想で書く予定でしたが、実写グラスハートは音楽をそこまで踏み込んだものとしては描いていない。私はすごくそこに物足りなさを感じました。曲もキャラクターも好きだし宝物のようなセリフはたくさんあるけれど、わりと個人対個人の中に限定した話になったなぁと。
続編がもしあれば、個人からさらに高く翔んで音楽が社会や世界に接続される物語が観たい。音楽とは実に個人的なものであると同時に、時にその枠を超えるものでもあるので。
もちろん世界や社会を構成するのはあくまで個人ひとりひとり。今回の実写グラスハートは個人と個人のストーリーを濃密に描きましたが、その細やかなまなざしを持ちながら大きなものと接続することは可能です。そういう作品はたくさんあるし。個人的希望です。』
…という。簡単に言えば単に私の好みの問題です。ドラマグラスハートは何も悪くない。素晴らしい作品です。ごめんね。←cv藤谷直季
何にせよ社会現象を巻き起こした本作品。賛否もあったし嫌な方向に盛り上がってしまったこともありましたが、とんでもなく話題になったのは確か。誤算なのか?思惑通りか?いやいやたける氏の希望通り。
Netflixという媒体を通し、国境も人種も越えて作品を届けること。ショート動画で時間を潰す人が増える中、そんな人々に作品を通じてドラマや映画の素晴らしさを伝えること。ほら。希望、叶いましたね。
たけさん、ほんとにほんとにこの数年グラスハートのために力の限りを尽くしてくれてありがとう。その間にもたくさんの作品に携わりたくさんの喜びをくれてありがとう。
今は少し、何もかも重荷を下ろしてゆっくりまったりしてほしい。好きなものを食べて美味しいお酒を飲んで大好きな仲間たちと笑い合っていてほしい。
ドラマグラスハートに関わってくださった全ての方々に感謝を込めて!もちろん長い長いこの感想シリーズをお読みいただいたあなた様にも!
本当にありがとうございました。ではまた後日。
お疲れ様でした。











