どうも、タケルです。
べじらーめんゆにわで
夜ごはんを食べていた際に
隣に座った際にある方より
衝撃的な話をもらったので、その気づきを書きたいと思います。
人間関係の問題やトラブルの背景
生きていたらすれ違いや誤解がうまれて
関わる人たちを不快な気持ちにさせることはあります。
これは避けられない背景もあると思っている一面もあったり
今日は、何となく問題が起きそうな気がするなと思っていたら
現実化することもあります。これは、タケルが直接かかわるにしろ、間接事象にしろ
問題が起きそうだから、起きた場合を想定した行動をしていましたが…
私の中では、言葉にせずとも
頭の中、心の中では「また問題起きそうだなーと」
若干のネガティブよりな思考をすることがどちらかと言えば多かったと言えます。
こういう空気感、想いを持ってしまっていたら
人の幸せを思う行動と真逆になってしまっていることを
べじわで話してもらった流れです。
人を心から愛して幸せを願う気持ちで接していたら
非常にいとしく思うこと。深く愛する気持ちを
『愛念』と言って、北極流の人達では当たり前になっている言葉です。
普段から24時間この気持ちで仮に溢れていたとしたら
- 「問題やトラブルが起きることも減り」
- 「多少言葉のチョイスがミスったところでトラブルにならないし」
- 「普段の振る舞いで悪い誤解をされることもない」
この話をもらってその通りだなと思いました。
ちょうどコップの水に例えられた話をされて、
タケルの愛念の量は
コップの水で例えると、20%くらいで
その状態でモノを言っても伝わらないから、
北極流の一門の人達みたいに
1つ1つの言葉、行動、背景にある思いの
愛念の量に近づく行動を日々もっていかなければなと思っています。
愛念の記述に関しては
羽賀ヒカル著のドラゴンノートにも書かれていたので
改めて見直して愛念について見つめなおした1日でした。
愛念は、言葉、行動、奉仕と色々と具体的な行動に落とし込んだら
いろいろとありますが、自分の中の愛念を進化させるために日々成長していくことが
大事だなと気づいた今日この頃です。