今はすっかり父親の癌ブログになっていますが、元々は自分自身の交通事故による入院中に暇潰しで始めたブログです。

 

2018年11月の大阪マラソン完走3週間後に起きた交通事故。

右足の脛骨・腓骨・右手骨折と言う、まぁまぁ大きな怪我でした。

 

入院中に看護師さんから「もう2度とフルマラソンは無理です」等と、結構ショックな事を言われたものの、きっとまたフルマラソンを・・・って思いながら続けたリハビリ。

残念ながら腓骨は粉砕したままとなりましたが、フルマラソンいけるんじゃね?って所まで戻してきました。

社会人リーグまでやっていたアメリカンフットボール、そして今はとある武道の指導者までやっておるので、まぁそこそこ身体は頑丈でして。

 

そして今回の大阪マラソンに出走予定だったんですが。。。。。

残念ながらの縮小開催、エリートランナーだけの大会となってしまったようです。

 

この結果には賛否両論あるようですが、正直私はちょっとホッとしていたりして。

 

今回の出走に当たって、24日以降にとった検体(唾液)で陰性証明を自分でとってくるか、25・26両日、受付会場で抗原検査をして陰性だったら走っていいよ。。。って事でした。

 

まん延防止等重点措置が取られる中、ぶっちゃけ走るのどうやねん、、、、って思ってまして。

父親の件もある。子供達はそれぞれ学年末試験の真っ最中。仮に私が無症状の陽性なんてものが判明した暁には、家族に甚大な影響があるなぁ。。。。。って。走っていても結構ヤジられるんじゃないかとも思っておりました。

 

そんな訳で、今回は棄権?辞退?しようかなって思っておりました。

 

ただ強制の出走停止ならまぁ仕方ないと、、、色々と救済措置もあるだろうと。

他力本願で申し訳ないけれど、来年の出走権ぐらい確約して貰えたらラッキーかなっと。

 

フルマラソンって、思いついて気軽に参加ってもんではなく、半年ぐらいかけて練習して、時間もやり繰りして、食べるもんも控えて・・・等準備にも金と時間が掛かっていますから、気軽に中止ねって言われて納得し辛いですが、まぁこの状況なら仕方ないです。

 

言ってもまだ正式に今の時点(2月16日現在)で、私の所に主催者側から中止・縮小の連絡が来ている訳ではないですけれどね。

1週間後の東京マラソンはどうなるんでしょうね。

多分大阪と同じでしょうね。

 

早く走れるようになればいいのにな。

 

大阪マラソン完走して、私の交通事故の悪夢は終わる予定なのです。

 

 

 

昨日電話で話したら、今週末には退院出来るとの事。

本人の表情も明るかった。

 

10日(今日)の退院を目論んでいたようだが、それはあえなく却下されたらしい。

症状が落ち着いているなら、どうせ何も診察はないのなら家に帰してくれてもよさそうなものだ・・・とボヤイテはいるが、まぁどうせ帰ってもジッとはしていないんだから大人しくしていてくれ。

 

今回の抗がん剤。「アムルビシン」と言うらしい。

2002年12月に発売されたものらしいが、何でも最新とワードが好きな両親は、シスプラチンより以前に発売されて今回のお薬が気に入らないらしい。

 

仕方なかろう・・と言うしかかける言葉はない。

最近やっと、オプジーボは自分の病には効果がないと言う事を理解したようだが、ホントつい最近までオプジーボを使わないのは、担当医に怠慢だ!等と鼻息荒く言っていた。

 

あほか、ノーベル賞ナンボのもんじゃ。胃薬飲んでも頭痛は治らんわ。

 

話は脱線したけれど、今回のアムルビシンの投与では少し倦怠感が出たようだ。

先週末は完全にダウンしてしまったと本人が珍しく弱気に語っていた。

 

食事については相変わらずで、病院食は美味しくないと言い張って母親がせっせと飯を運んでいるようだ。

まぁ面会が叶わぬ状況下で本人達が生活の張りと感じているのならまぁいいけれど、病院の栄養士さんや看護師さんにはとても迷惑かけているんだろうな。。。。と申し訳なく思っている。

 

ただやはり家での食事とも違うのだろう。

ビデオ通話で顔を見ていると、段々とホッソリしてきた。

食事のせいだと思いたいところだ。

前回以来、一か月半振りのブログ。

 

久しく成りを潜めていたのに、再び書いたと言う事は状況に変化があったと言う事で。

正直、何度か書こうかな・・・と思ったけれども、ちょっと気力と言うか書く気がしなかった。

 

無事に迎える事が出来たお正月。

コロナがまた勢いを増す中、正月が明けて以降父親は事務所への出勤日数・滞在時間が増えていった。

少し体力が戻って来たわと、色々とポジティブな発言も増えてきて矢先だったのだが。

 

抗がん剤の投与から免疫治療へと移行して薬剤を2回投与をしたけれど、残念ながら効果は見られず。

 

そして、先月半ばから数値が少し上振れで動き始めた。

今月頭から抗がん剤の投与を再び開始。
投与する抗がん剤の種類は変わった。

何故、変わったのか直接的な理由はわからない。

1回目の時は付き添いしたのだが、前回数値が良くなって安心したのか両親は私に診察など病院に行く日を伝えなくなってしまい、私は今回の入院も前々日ぐらいに聞かされる始末だった。

 

今回は色々とわからん事だらけだ。

耐性がつくまで同じ抗がん剤を投与し続けるものとばかり思っていたんだが。。。。。

 

入院して約1週間程経つ。

 

自分では気づかないけれど、少し私自身ダメージを食らっているようだ。カミさんから指摘される。

昨日の晩は、少し嫌な夢を見て夜中に目覚めてしまった。

 

いつか、、、いつかは数値が動き始める時は来るとは思っていたけれど、こんなに早いとは思っていなかった。

正直、春先ぐらいまでは落ち着いてくれているものと思い込んでいた。それぐらい、数値は落ちて行ったのだ。

 

少し嫌な未来がチラつく。

 

何とか良い結果が出てくるといいんやけれど。