「最低でも、学校の平均点は取りなさい。平均に届かないなんて、お父さんお母さんの常識ではありえないよ。」
「最低でも、80点は取ってきなさい。習っていることなんだから。そのくらいは当たり前だよ。」
「最低でも、偏差値50以上の学校には合格しなきゃ。勉強する意味がないでしょ。」
この”最低でも”。
もし、思考パターンに入り込んでいるようでしたら、ここに改善の糸口があるかもしれません。
”最低”って、何なの?と子どもはうすうす思っています。
平均点に届かない子なんてたくさんいるのに、どうして自分だけ怒られなければならないの?
と、声に出さずに、何とか頑張ってしまう子もいます。
声に出すと、
「下を見るんじゃない。上を見なさい。ちゃんとやっている子は沢山いるんだから。」と怒られる。
そして、頑張って80点を取ると、
次は、「こことはできるはずだろ。もっと高い点数が取れるでしょ。」
となって、実は、際限がありません。
子どもの方は、「何点取っても怒られる」と感じるようになります。
”最低でもこれはやって”、という思考は、子どもを最初から裁いているのかもしれません。
子どもが大事にされているという感覚を持ちにくくなっているかもしれません。
大事にされなければ、周囲の人を大事にすることも難しいでしょう。
”最低でもこれはやって”と要求した先に、一体何があるんでしょうか?
点数取ればそれでいいのでしょうか。もっと大事なものがあるのではないでしょうか。
子どもをどう導くのが親の役目なのでしょうか。
「俺が稼いでいるんだから、”最低でも”家のことはしっかりやってくれよな」
という旦那さんがいたら。。。誰でも嫌がりますよね。
”最低でも”そういうことは、言ってはいけませんよね(笑)