この時期、新聞には、戦争の悲惨さを伝える高齢者の体験記事が紹介され、
その残酷さに心を痛めます。そして、そのような事態を招かないように、
社会の構成員の一人として、責任を感じます。
ただ、多くの記事で、戦争の悲惨さと、現在の平和憲法の重要性が結び付けられていて、
妙な違和感を持ってしまうのが正直なところです。
現在の憲法を大事にしているだけで(”大事にする”というのが何を意味するか、微妙ですが)、
平和(これも何をもって、ヘイワか、、、)を維持できるか?
単純化して比ゆ的に考えれば、
「子どもにいじめはダメだよ」と教えるのと似ている気がします。
あるいは、「暴力はダメだよ」とも同様です。
いじめがダメ、暴力はダメ、と伝えることはもちろん重要ですが、
どうしていじめや暴力という行為に及んでしまうのか、
その原因をつぶさに観察して、
人間関係、あるいは、家庭関係、社会背景に
アプローチしなければ、改善は難しいものです。
戦争の悲惨さを伝える記事の中では、
戦闘行為自体によるものよりも、満蒙開拓団の引き揚げに伴う、ソ連軍による収奪に
よってもたらされた過酷さのように、戦闘終了後の社会的混乱の中での
悲惨さの方が多いかもしれません。
戦闘行為がなかったとしても、他者を傷つけてもいい、
という観念が人間の心のどこかに存在していたのだと思います。
憲法論議は横に置いておいて、
いかにして、他者を傷つけない社会を構築するか、という観点が必要であると思います。
私自身、この観点から、自分自身の行動や仕事を見直し、
できることを日々、実行していきたいと思います。