三和 導代 です。
レバノンの首都であるベイルートに到着しました。ここに1週間滞在します。レバノンは25年ぶりです。再訪できたことに大きな意義を感じています。20世紀の頃はヨルダン、シリア、そしてレバノン3カ国を訪れることが可能な時代でした。そして外務省の危険度情報でレベル2以上の地域となったレバノン、そしてレバノン最大の観光地であるバールベック遺跡の観光ができない状態が続きました。
レバノンは地中海で活躍したフェニキア人の交易で栄えた国です。今でもレバノン商人と言われる位に商売人として海外で活躍しています。一番身近な霊としてはレバノン経営のスーパーマーケットを私はこれまでどれだけ見て来たでしょうか。
レバノンについては日本人にとりましては遠い世界の話し、唯一知っているのは日本から逃亡したゴーン氏。日産の社長であったゴーンさんは典型的なレバノン人のお顔、そしてフェニキア人の血を引いた商売人です。今はベイルートにお住まい。公式上は住処は発表されていません。近々レバノンの大統領選に出馬する噂が現地ではあります。ゴーンさんが失業中で暇にしているというのも面白い話しですね。日本出国の真実の本でもライターとして出版したらいかがですかと申し上げたい。今すぐにでもご紹介いたしますよ、ゴーンさん。
レバノンは1975年から1990年まで内戦が勃発し、その弾劾跡が私が訪れた頃の1990年代の後半にベイルート市内の旧市街には数多く見られました。しかし現在ではほんの僅かです。そのご2011年アラブの春の後に勃発したシリアのISの破壊行為、遺跡や住民暗殺といった殺戮の時代、シリアからの難民受け入れ。現在はレバノン国内の人口は700万人、400万人はレバノン人、残りの大多数はシリアから逃れてきた難民です。国境を接し、かつてはシリアとレバノンは一つの大きな文化圏でしたので仕方ないと言えば仕方ない状況かもしれません。
2020年の海岸近くにある倉庫からの爆破により周辺15㎞に渡っての大きな被害を被ったのも事実です。かつても中東の花形であったベイルート町の繁栄ぶりは今となっては遠い昔のことのように街並みはヒッソリ、そしてもぬけの殻の状況が続きています。
経済状況も悪く現地通貨の価値の下落により、アメリカドルの価値が高騰し、一般社会でも取引ではドルが主流となっています。コロナの敬興もあり、ベイルートを訪れる人々も減り、一流ホテルやレストラン、ショップが閉鎖が続いています。