稲穂が広がる下田郷の火炎土器 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

先週末は新潟市、そして今は三条市となっている下田郷の収獲前の黄色い稲穂が広がる中越平野の田んぼを見てきました。新潟県は昔からの米どころ、新潟平野に広がる田んぼには稲穂が一面、真っ黄色の光景は日本ん秋そのもの。都会を一歩でてみる光景はやはり田んぼなのです。

 

今回訪れたのは新潟県下田村、現在は三条市に併合されていますが、下田郷土資料館のスリッパにはまだ下田村と書かれていました。下田郷には、五十嵐川とその支流の河岸段丘上に旧石器時代から中世の著名な遺跡が数多く点在しています。旧石器時代の荒沢遺跡、芋ノ原遺跡、縄文時代の長野遺跡、藤平遺跡などの出土品から、4万年をさかのぼる下田郷の歴史が展示されています。

 

その中でもやはり目に付くのは土火焔型土器と王冠型土器です。長野遺跡から発掘されました。長野遺跡は、五十嵐川・守門川・駒出川の合流点付近に作られた約5,000年前から3,500年前の縄文時代中期から後期の大集落です。平成元年、約5,000平方メートルを発掘調査したところ30軒以上の竪穴式住居と多数の土坑や柱穴が検出されました。また、土器や石器などの出土品がコンテナ数百箱も発掘されてたのです。その中には縄文時代を代表する火焔型土器や王冠型土器も出土しました。

 

この遺跡は、八十里越で五十嵐川流域の縄文遺跡群と会津とを結ぶ縄文文化の交流の場の一つであったと考えられます。発掘された多くの遺構は重なって見つかっており、同じ場所に何度も建て替えが行われたことがわかります。竪穴式住居には、楕円形や長方形のものなどがあり、中央には必ず煮炊きをするための炉があります。火は暖をとるたの場所でもあり、信仰の対象物でもありました。

 

芸術性豊かな火炎土器、この火焔土器を見ていますと火炎土器からでる力強いエネルギーを吸い込むことができます。この郷土資料館は随分でからある古い建物。展示室の2階には冷房施設はありませんので、暑いのは覚悟です。資料館近くの田んぼも稲穂ももう黄色に色づき、収穫を待つばかりの光景でした。

 

帰りがけには八木ヶ鼻公園に寄りました。高さ200mの絶壁である八木ヶ鼻はハヤブサの生息地となっています。また麓には八木鼻岩陰遺跡として縄文時代の2カ所の遺跡跡が発見されています。この下田村では旧石器時代より多くの人々が人々が生活をしてきたのです。