三和 導代 です。
満開の桜に真冬に逆戻りしたかの寒さと雨の一日でした。今日は昨年4月8日に他界した母の一周忌の法要が菩提寺で行われました。桜が満開のお寺の境内、着いた時にはまだ雨が降っておらず、ふと昨年のことを思い出しました。昨年と同じ光景のお寺の中に私たちは遭遇しました。母はまだ病院に入院中で、昨年は父の13回忌の法要のために訪れたのです。昨年と今年の光景が瓜二つでありました。
そう法要の始まる前は桜が満開で散り始める瞬間、そして法要が終わって外に出てみる雨が本格的に降り始め、桜が雨に濡れて落ちるシーンです。今日もまた同じ光景でした。そして参加しているメンバーも同じ。昨年は法要が始まる前に妹がここで記念撮影しようと機転をきかし、素敵な13回忌の家族写真が撮影できました。昨年は母はもう意識がない状態の病院生活でしたが、その1か月前にはお父さんの13回忌は出席できないけれどお願いねと言っていました。そして母は昨年の4月8日に他界しました。今日はまさに母の一周忌でした。
母は信心深い人間でお寺さんでも読経の会や勉強会にも元気なころは参加していました。仏教だけでなく幅広く神道や精神世界にも興味を持っていた人でした。反対に父はどちらかと言えば宗教や精神世界には興味のない人でありました。ですから私は母にはまだ意識がはっきりしている段階で、死について、死んだらどうなるか、死は決して恐れるべきものでないことを伝えていました。何の抵抗もなく聞いてくれました。
父に対しては意識がはっきりしている間はこのような会話は決してする機会はありませんでしたが、他界する前日、もう父は意識はない状態でしたが、私はきっと聞いてくれていると確信をしていましたので、父に対して私の想いを独り言のように語り続けました。死について、それから私から父への感謝の想いです。間違いなく私の言葉を聞いてくれていたかと思います。
さて今日の法要の最後にご住職のお言葉の中に、生きている間に自分の想いを実現することができたらそれは本当に幸せなことであると、後悔のない人生でありたいというお話をされました。まさにそうであるかと思います。その際にご住職は父のお話をされました。父は生前から檀家としてお寺には礼を尽くしていましたので親しい関係でご住職とは良くお会いし飲む機会があったと思います。よく覚えておられました。「お父様は浦高を中退して稼業を継がざる得ない家庭環境でしたが、本当は東大に行って新聞記者として活躍したかったとィっとられました。」
私も兄も妹もこの父の想いは実際に聞いていましたので良く知っていました。そしてご住職までにも語っていたのです。相当、後悔の念をもちながら生きてきた人であったのだと思います。そのため私たち3人兄弟に対しては望む限りの教育の機会を与えてくれました。私が今のように自由気ままに世界中を飛び回ることは、実は父の夢でもあったのです。私のこの仕事をとても喜んでくれ、他から見れば親場バカといわれていたかもしれません。
父は浦高=浦和高等学校、埼玉県の名門高校を中退し、周囲の人間がいわゆる世間でいう一流大学に行く姿を見て本当に悔しかったのだと思います。稼業は米穀店ですが、家庭が複雑で祖父が胃がんで亡くなった後、次男である父が義母、義妹、稼業、その後は父の姉と子供たち、そして父の妻とこどもたちを養う一家の大黒柱となっていったのです。血の繋がっていない義妹も大学、そして嫁に出しと、子供ながら父は外で稼ぐ人そのものでした。
もちろん稼業の米穀店だけではありません。幅広く飲食関係で成功したと言えるかと思います。もし東大を出て新聞記者になったとしてもこの大人数の家族を養えるお金は稼げなかったのは間違いありません。自分の夢は達成できなくとも、私を初め多くの人間を養ってくれたのです。私は父が亡くなる前日に父の人生を見てきましたので、意識のない父を前にして語り続けました。それは感謝の想い、私の人生を自由意志で歩ませてくれた父に対して、ありがとうの一言でした。
今日は母の一周忌ですが、同時にご住職のお話から父のことを思い出しました。心よりありがとうございました。と父の娘であって幸せでしたと。そんな意味では法要は良き機会なのかもしれません。