サモンコールとのコンタクトマン藤原由浩さん | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

先日、神楽坂で月に1度開催している、私の竹内文書セミナーに京都からわざわざご参加いただいたご婦人がいらっしゃいます。私は初対面でしたが、この瑠璃光殿の主であります吉田日光猊下と長年のお付き合いの方で、たまたまお二人のお話の中で、高坂和導の話題となったがきっかけだそうです。何とこのご婦人(Kさんと呼ばせていただきます。)は高坂の紹介で35年前にサモンコールという星とのコンタクトマンであった藤原由浩さんをずっと応援された方でした。

 

私も藤原由浩さんのことは最近でもふと思い出すことがありました。どうされているかと気にはなっていました。高坂よりは年上でしたら、お元気であれば後期高齢者であることは間違いありませんので。そして今回Kさんより今年の3月に他界されたことを知らされました。Kさんは藤原由浩さんの奥様から直接お電話をいただいたとおっしゃっていましたので、間違いはないかと思います。

 

私にとりましてもとてお思い出深い人です。藤原さんはかつて度々我が家に寝泊まりしていました。まあ高坂和導のお客様は本当に日常世界とはかけ離れた人ばかりでした。そのお一人でした。お酒とたばこが大好きな方でした。実は私自身も藤原さんの住まいであった北海道の帯広の自宅に家族で訪れたことがあります。35年以上前のことだと思います。まだお互いに若い時代でした。看護婦をされている奥様と2人の坊ちゃん、そして義母(奥様のお母さん)がおられたかと思います。そしてそこで、藤原さんがどのようにサモンコールの宇宙人とコンタクトして、それ以来の不思議なできごとの連続、そして実際の活動などのお話を聞かせていただきました。

 

藤原さんという方は農業を営む素朴な男性で、半分何を離されているのがよく私にはわからない部分がありましたが、奥様はしっかしされた方で奥様自体が藤原さんの出来事を真剣にお話されるのを聞いて、これはやはり実際に起きている事実なのだという確信はありました。(もし藤原さんお一人にお会いしていたらそうは思わなかったかと思います。)なぜ、サモンコールの星の人が藤原さんを選んだのか、とても不思議ではありました。人を疑わない素朴さだったのでしょうか。

 

藤原さんの主たる活動は北見の基地にて隊員(何十人という、最大時は84人と聞いています。元自衛隊員が多かったと聞いています。)と共に、地下に潜り火山の爆発と地震を止める仕事をしていました。普通は?????と思われる方が多いかと思いますが、これは事実であったかと思います。この活動を助けるためにまたサモンコールの人々と交流を求めて、高坂は藤原さんをずっと応援していたのです。講演会を開催したり、数限りなく様々な人々に藤原さんを紹介していました。そのお一人がKさんであり、多大な時間とお金を費やし、藤原さんの活動を支援されてこられたはずです。

 

私が大分お金を遣わせてしまいましたね。と申し上げたところ、「いやいや本当に藤原さんと楽しい時間を過ごさせていただきました。そして高坂さんっていう方は本当に楽しいまた癒しの方で、知識の並み大抵ではなく何を聞いて教えてくれました。本当に私にとっては素晴らしいお方だったのです。そしてたまたま吉田日光猊下との会話で、奥様のことを知り飛んできたのです。」と。高坂は亡くなってもう19年です。そして藤原さんは今年他界されました。高坂と藤原さんの二人は共に歩みながらも途中で別れた間柄です。そんな二人が残したのが、マースロンと言いまして、サモンコールから授かった宇宙のエネルギーの入った金属の棒です。この棒を使って、人々の体を癒していた時代があるのです。

 

もうあれからどれだけの時間が経過したのでしょうか。30年でしょうか。今でもそのサモンコールのエネルギーの入ったマースロンという金属の棒が残っています。新月と満月の月明りに充てると良いそうです。早速、試みてみようかと思っています。

 

和の周辺では過去と現在と未来がまさに混ざっった状態で物事がよく起こります。でもこれが本当の現実なのだと思います。思うと一緒のうちに考え-がワープしてしまうなんて夢のようなお話ですが、実際にそんなことはしばしば起こるのです。藤原さんの消息も気にはなっていました。生きているのか、サモンコールにいるのかと。今は、サモンコールに滞在しているのではなく、地球人としての肉体が本当に亡くなり霊体となられたのですね。ご冥福をお祈りいたします。