静まり返った至恩郷跡 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

岡本天明さんの奥様であった岡本三典が他界されて既に12年となります。私は一度だけ、東京の松濤で開催された岡本天明さんの個展に出席した際に岡本三典さんに1度だけお会いしただけです。当時90歳前だったかもしれませんが、背の高くスマートでお元気な女性でした。高坂も生前、しばしば至恩郷には出入りしていたかと思いますが、よく覚えてくださっていました。至恩通信が以前はよく届いていました。

 

以前から、至恩郷のことが気になっていました。昨日、やっと至恩郷に行くことができました。朝、出発前にインターネットで情報を調べていたところ、私の知人の眞理さんのサイトを見つけ、三典さんは本名ではなく、多恵子さんが本名であることがわかりました。三典さんがひかり教会を解散した際には本名の多恵子さんのお名前に戻されたようです。新幹線の中で、眞理さんと連絡をとりながらの至恩郷への旅でした。

 

菰野にある至恩郷は三重県の四日市からの乗り換え、湯の山温泉駅が最寄り駅です。荷物をコインロッカーに預け、駅前に止まていた1台のタクシーの運転手さんに至恩郷ってわかりますか、と尋ねますとご存知なかったので住所を伝えますと、カーナビで納得。昔よく行った場所だそうです。多恵子さんのことも、ご近所のkさんのことも。もうお二人の姿を見かけなくなって何年がたつでしょうか。久しぶりに行くって。

 

入口のところで下ろしてくれました。私有地に付き、立ち入り禁止のテープと綱が張られていました。表札にはご近所のkさんの名前とご家族の名前が書かれていますが、敷地内の建物にはどなたも住んでいる気配はありません。もう全てが廃墟となっています。立て壊すこともなく、そのままの状態です。敷地も建物もKさんのものでしょうが、今はどなたも住んでいません。

 

この人里離れた場所に三典さんは岡本天明さんが亡くなって50年近くずっとお一人で住んでいたのです。お子さんもいなく、一人で天明さんの跡を継がれて。そして最後にひかり教会を解散し、多恵子さんに戻って、この地で亡くなりました。ご近所のKさんが発見されたようです。それから12年の年月が経ちました。多恵子さんが亡くなられた後にはいろいろな方が住んでいたとは噂には聞いていましたが、もう今はヒッソリ静まり帰った至恩郷となっています。敷地内の桜の木の元に多恵子さんはご希望通りに寝ていらっしゃるのでしょう。愛された天明さんが住まわれたこの地に。桜の木は今でも健在でした。

 

6月23日が多恵子さんの命日です。仏式で言えば今年で13回忌になるのですね。一人の父親ほどの年齢の男性を愛し尊敬し続けた多恵子さんの思いが一杯詰まった至恩郷です。