三和 導代 です。
母が4月8日に旅立ち、母の死をきっかけに沢山の学び、体験をしました。3月27日に意識不明となり、29日に手術後も意識が戻ることなく旅立ちました。
その間、母はこれまでにない旅をアストラル体で旅をすることができたかと思います。不如意となってから旅には既に出ることはない毎日でしたが、私は生前に母とは死については二人だけの時、何度か話してきました。死ぬ際には苦しみはなく、気持ちよく旅立つことができること、また肉体から離れることによって瞬時に瞬間移動ができ、自由自在に旅ができ、会いたい人にも会えるようになること。このことを知ってほしい、そして試してほしいと。知らないと試みないので、できないので必ずねと。
また自分のお通夜や告別式も見ることができるし、参加者が何を思っているかも読むことができる。いい面もあるし知りたくない面もあるので、身内だけの葬式がいいね、と私は母に語りました。この会話はコロナ禍の前の会話で、母は否定することもなく興味深く耳を傾けてくれました。
そして母は死を前にして恐らく意識不明の状態ですでに旅は始まり、つまり顕在意識の世界から飛び出し、アストラル体にて様々な世界を見ていたことでしょう。
さて生前、母は慰霊写真を気にしていました。それは高齢となり不如意となってからは1年に一回お正月に家族写真は撮っていましたがそれ以外に正式な場所に出席することがありませんでしたので、正装した写真はありませんでした。孫の結婚式の時に正装したので、その時の写真が正式な写真かなと気にしていましたが、実際にはその写真を母には見ていませんでした。そして慰霊写真を母は自らが指定することもなく、私たちも候補の写真を用意して母に選んでもらうこともなく、母は旅立ちました。
さて4月8日に病院で息を引き取った母はまもなく、母の自宅に搬送され戻ってきました。私は母を迎える準備をするために母の自宅に一足先に入りました。するとテーブルの上に3枚の写真が置いてあるのに気が付きました。中を見ると10年以上前の母がまだ元気なことの母の兄弟たちと皆で写っている写真でした。母の表情もとても明るく、ピンクの花柄の洋服をきた美しい母の写真でした。なぜこんなとことに置いてあるのか不思議でしたが、この写真こそ慰霊写真だと直感しました。その後、兄と妹の3人兄弟でこの写真にしたねと3人が意見一致、念のために母が気にしていた孫の結婚式の写真(本人は見ていませんでした)と比較しましたが、やはりこのテーブルの上にあった写真の方がにこやかで穏やかな表情でした。そのかわりに最後の母の衣装として、孫の結婚式に着用した正装の洋服を選ぶことにしました。
さて、告別式が終わり、火葬場から戻り、遺骨と共に再び自宅に戻りました。そして家族と会食、その時の慰霊写真となった写真についての話題となりました。なぜ私が母の自宅のテーブルでその写真を発見したのか。何とこの写真は母と同居していた兄が母が倒れて意識不明となる日の午前中(その時間は母はまだ元気でした。)に、今まで全く知らなかった写真が自宅でふと目についたそうです。そう探そうと思ってでなく、不意に写真が3枚、ビニールの袋の中に入ったままの状態で落ちていたそうです。既に10年以上も前のものがです。それを拾って兄はテーブルに置いておいたそうです。
間違いなく、自分の慰霊写真を気にしていた母が選んだに違いありません。それも母が倒れる数時間前にそれを兄が見つけているのです。人間は知らず知らずに自分の死期がわかっているのだと思います。高坂和導も突然死でしたが、他界する3カ月までに写真館に行って記念撮影をしてそれを仏壇の横に準備していました。私たちの結婚式の時でさえ、正式写真などは撮影せずスナップ写真のみでしたが、自らがわざわざ写真館に行って撮影していたのです。ですから自然とその写真が慰霊写真となったのです。命は知っているのかもしれません。
慰霊写真はずっと飾られる写真です。考えてみますと非常に大切な写真なのです。それをキチンと遺さないとどんなに悔いが残ることか。想像してみてください。自分が気に入らない写真が選ばれてずっと飾られると思いますと非常に悲しいですよね。特に女性の場合には少しでも若く、お気に入りの衣装と表情、こだわるのが当然です。たった一枚の写真ですので。叫びたくなりますよね。もし嫌いな写真でしたら、いや、それはダメって。最後の汚点です。
母は気になっていた写真を兄を通じて選び残しました。母の強い想いがあったのだと思います。私も旅にでて写真は山のように撮影しますが、自分を撮影することはありませんので、ふと考えますとお気に入りの写真ってないのです。人間はいつ何時最後の時を迎えるかはわかりません。100%その時が来るのです。その時のために常々、自分のお気に入りの写真を1枚準備しておくことはとても大切なことだと今回は実感しました。母の死からの学びに一つでした。死の準備って大切ですね。