心安らかな母の旅立ちを祝して | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

先週もブログに書きましたが、3月27日に意識不明となった旅好きであった母は今生での様々な旅を肉体の旅を終了し、その後アストラル体となって旅を楽しんだ後、4月8日にこの三次元の世界から新たな段階への旅立ちました。卒業式を迎えました。

 

母の自由意志の最後の決断ができるように娘である私はずっと願い続けました。人間は呼吸をして生きているだけでなく人生の最後を他人に任せるのではなく、自分で決断することができることだけを毎日願い続けました。母は非常に気丈な人でした。私は母が生き続けることよりも最後の決断を母ができるように。

 

そして今日、母が大好きだった旅行を楽しんだ後、旅立ちました。これまでありがとうの一言です。実は4月8日という日ではないかと私の中ではうすうす感じるものがありました。父は建国記念日がお誕生日で命日は憲法記念日でした。母は節分が誕生日でしたのは命日は??? とても信心深い人でした。そして自分の意見をはっきり持っていました。

 

このコロナ禍の中で、生前、頑として自分はワクチンを打たない。施設に入っているので、老人のくくりで接種されることを大変懸念していました。私と同様にワクチン大反対の母でした。

 

4月8日はダマヌールのスピールの記念日で、螺旋を歩いていました。パンの神様の迷路を歩き、八重桜が非常に美しいお庭の螺旋の中を足を進め、鶯の鳴き声と鈴の音を何ともこの世とは離れた時空の中、スピールとファルコさんの存在を感じつつ、母が心安らかに心安らかに旅立つイメージがはっきりと感じられました。ああ、母の穏やかな旅立ちの様子でした。

 

その後、まもなく母が意識が戻らないまま心安らかに旅に出たことを知らされました。母は私に挨拶に来てくれたようです。私がずっと望んでいた心安らかな旅路へ。

 

ずっと週末は予定が入っている私ですが、今週末だけは予定がなかったのです。一年中でこんな時はありません。4月7日には私は自分のセミナーも終了しひと段落したところ、そして家族にとりましたてもびっくりするほどタイミングが良く皆全員で揃って最後の母の旅立ちに立ちあうことができます。子供たちの仕事の迷惑になりたくないとずっと願っていた母は最期までそれを貫き通したようです。

 

こんな演出を最後までしてくれた母に本当にありがとうと言いたいです。家族の幼稚園や小学校の子供たちも人が死ぬというのはどういうことか、白い布で全身を覆われた中からの遺体が出てくる姿、そしてまだ触れると暖かいぬくもりのある肌、そんな体験をさせてくれました。

 

死に向き合うこと、最後の死をどのように選ぶかはきちんと自分で決めておかねばならない問題です。死の準備を怠ってはいけない、自分の意思を明確にしておくことが大切ではないでしょうか。