春分の日に二重のプレゼントとは | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

昨日は春分の日でした。竹内文書によりますと、古代におきましては春分の日が新年であったという記録が残っています。この日を境に昼の長さが夜の長さより長くなりますので古来から太陽信仰の日本では自然の考え方かもしれません。また春分と秋分は亡くなった人とのコンタクトにも適した時期?とも言われています。

 

私は実生活においては実によく忘れ物をし、いつも探し物をしています。そんな毎日ですが、今日も大切なものを見失い、どうしようか本当に困っていました。非常に大切なものですから、昨日あえて袋のファースナーのついた内ポケットの中に入れていたはずの物が見当たりません。畳の部屋を隈なく探していたところ、朝畳んた毛布の上に乗っているのを発見。どうしてここにあったのかは今でも理解できません。しかし、大切なものが見つかったのですから、本当にうれしく安心しました。

 

その間、私は畳の部屋を隅から隅まで探しました。するとテーブルと壁の間から黄緑色の誇り混じりの封筒が出てきました。その中には昔の高坂和導が入っていました。何と昭和47年と50年代の若き頃のもの、東京の調布の児童会館で小学生を対象としたUFOサークル発会記念の写真1枚と、子供たちを連れて新潟県の角田山麓に調査と天空浮船祭を開催した時の写真3枚でした。

 

以前にも書きましたが、新潟県の角田山付近は竹内文書によりますと、上古第18代の大斗能地天皇の時代の政庁があったという記録が残っているために、その場所で高坂和導は子供たちを連れて現地の子どもたちと一緒にお祭りをしたのです。

 

そして私は昨年より3回角田山に通い、この場所付近を調べました。最後はちょうど1週間前の出来事です。写真には子供たちが作った5色の旗が映っています。天空浮船祭、大斗能地天皇祭と書かれています。麓でのお祭りではお酒やスイカなどをお供え物をし、火焔型土器でお湯を沸かし、天に向かいUFOを呼んでいる写真です。参加者のほとんどが小学生です。

 

まあ何と懐かしい写真でしょうか。まさに私が1週間前に訪れた場所の写真でした。これは私が大切にしているものを隈なく探したために出てきたこのプレゼントでした。しかしなぜ私の探し物が毛布の上にあったのか、狐に抓まれたような話です。ファースナーは閉まっていたのに飛び出ることは考えられません。実は私はその探し物の時、声を出して高坂の名前を呼んで「お願いだから」と声を発していたのです。探し物は見つかる、写真は出てくると2重のプレゼントに大いに満足の一日でした。